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テーマ:心の病(7505)
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今日は朝、アサシンを途中まで見た後、事務所でカウンセリング。昼少しすぎてスタッフランチに炒飯を作ったけれどバタバタしてたら少し塩が強すぎました。私は少し立ち食いして、午後からは女のグループワーク、三回目。
今日のテーマは「感情を理解する~他者の無意識や感情の理解」~というテーマです。参加者が語る近況報告の中で、最近の私のテーマ「死と再生」にシンクロする話しがばんばん出てきて、もう不思議といえば不思議です。 死や苦悩は消滅とか絶望とか無意味と言うだけのものではなく、再生や成長のための産みの苦しみにもなりうるもので、人は苦悩の中でも成長や希望を見いだす事もできるというお話しになりました。 死の救済を言うキリスト教でも四苦八苦を言う仏教でもそう意味付けています。ロゴセラピーも突き詰めればそう言う事でしよう。 四苦・・四駆ではありませんしくです。生・老・病・死のよっつの苦しみから人は絶対に逃れられないと言うもの。また八苦・・は実はここから先ほどの四苦をのぞいた愛別離苦(あいべつりく)怨憎会苦( おんぞうえく)求不得苦(ぐふとくく)五陰盛苦(ごおんじょうく)のよっつの苦しみをさしますが、これもまた人はみんな抱えてしまうものだ、けれど、それらから逃れられないものであるなら、その苦悩を受け入れ、その苦しみの中からあらたな自己を見つける事もまた可能。苦悩する中で人は一歩一歩成長していきましょう、という意味らしい。 愛する人と別れなければならない苦しみ、憎しみや恨みに苛まれてしまう苦しみ、ほしいものが得られない苦しみ、自分の存在する意味が見つからない苦しみ、こんな時人は自分の苦しみには意識が向かわず苦しめる相手に向かったり、物や金に溺れたりすることで問題解決しようとするけれど、それでは解決できないよ、というもの。 と言う事であれば、これはカウンセリングと基本は一緒。ただ宗教とカウンセリングが違うのは崇拝やその対象という概念があることとない事と。私は宗教家ではないので、崇拝という概念は口にしませんが、共感とか敬愛、信頼とか受容とかいう言葉を使って説明していきます。けれど基本的には私は個人契約の宗教者と言えなくもないと思っています。宗教的な意識で自分を支えている来談者には私は信仰とか神とか言う言葉は使います。私のカウンセリングと宗教はなんら矛盾はありません。 そうそうその近況報告の後はワーク「私の歩いた分かれ道」をやりました。節目節目で選んできた選択肢について語り合うと言うもの。ほんといろんな人生のいろんなドラマが語られました。ほんと小説より奇なる物語が語られました。 その中の苦悩がじつによく伝わってきました。そしていまそれぞれの体験や苦悩を分かち合い理解しあう事で、その体験の意味が代わり、これからの物語をまったく新しい物に書き変える事ができるかもしれない、という淡い希望も見えてくるようになってきたようです。ほんと自由に語り合える場のもたらすグループの力はほんとすごいものがあります。今日もほんと私も随分勇気づけられたワークでした。 はてさて、そのワークの後のスタッフとのおしゃべりでも、事務所を維持させるためには、もっと人手がいるよねって話しになりました。で勝手に募集なんですが・・・ 実践力のある本物のカウンセラーを目指したい人、援助のプロを目指したい方、私の所で学びませんか。授業料はいりません。ただです。無料です。ただし、無償のボランティアスタッフとして働いてもらいます。(週一日以上)。 授業は月二回計四時間です。もちろん誰でもいいという訳ではありません、いい加減な気持ちでの応募はお断りです。真剣にカウンセラー、援助者を目指したいと言う方のみです。許可するか否かは面談を含めチェックさせて頂きます。 熱意と努力だけでカウンセラーになれるチャンスです。あなたがそんな方なら再生センターにお電話くださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/11/12 01:30:44 AM
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