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今日?・・昨日? もバタバタすごしました。朝はレターカウンセリングの研修でした。テーマは「命」のようなものだったので、自然と深い会話になりました。
世間で相談員とかカウンセラーとか言われる人たちは、狭い枠の中で、自分は責任をあまり負わないように、ただ聴くだけの人が多いようで、何も応えてくれない、とクライアントが不満を言いたくなる人が少なくないようです。 ラポールが形成されるだけでなく、どこまでも信頼しあって語り合う、そんなカウンセリングを行う人は少ないのではないかな、と、思いたくなるような話しばかりです。 というのは、知識で教えられるのは理屈や技法だけです。セラピーの一番大切な無意識とか魂とかいうレベルでの癒しや成長を促すには、理屈や技法だけでできるものではありません。セラピストの心や体験、丸ごとで対応しなければ深いレベルでの変化なんてもたらす事はできるはずもありません。 というのは、ひとりひとり体験はことなるし、体験が異なればその体験に基づいた言葉の意味も変わります。例えば、「犬」と言う言葉を用いても、人によって「犬」の意味は異なります。その人にとつての犬と私にとっての犬と同じなのか異なるのか、お互いに出し合ってみないとその違いもわかりません。 ようするに、いいセラピーにするには、セラピストの自己開示は不可欠と言う事。クライアントにばかり語らせるセラピストは、クライアントにとってみれば、クライアントの弱みを握っている人で、とても怖い存在になります。そんな怖い人に本音を語るのは怖いし、防衛が働くから、無意識にセラピストの喜ぶ話し、無難な話し、になりがち。これではいいカウンセリングになるはずもありません。 というわけで、私は自己開示をためらう事はありませんし(もちろん、相手により、時期・内容は適宜変更します)コントロールしない・されない、関係でいたいと思いますから、上から目線とか、パワーコントロールとかにならないよう、言葉遣い態度、服装等も気を使います。 こんな私のカウンセリングなんかは正当派の先生方からは、一顧だにしないもの、と判断されてるのでしょうねえ(笑) みなさんのカウンセリング体験等、よかったらコメントで聴かせてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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