|
カテゴリ:カテゴリ未分類
私は日々、いろんな方のお話を聴き、その人の語りの世界に私も入り込む訳ですが・・・・私は巻き込まれる事無くまた自分の日常の世界に帰ってくる訳です。
人それぞれ、世界観は異なる・・・さらに言うと客観的事実だけで成り立っている世界というものはあり得なくて、人が認識する現実世界というものも、その人の認識を超える事はない。 いろんな人のいろんな世界が重なる部分は共同幻想とも言えなくもないし、重ならない部分は個人の妄想と認識されやすい。 先日お電話頂いた方は、ここ数ヶ月で何回かお電話頂いてますが、状況の変化を理解できているので、私は特に違和感を感じることはないのですが、確かにいきなり聴けば突拍子もない荒唐無稽な話しと言えなくもありません。 で、その方、精神科医にかかったととき、統合失調性の妄想だからそれなりの薬を出しましょか、と言われたので、丁寧にお断りしたとの事。 ずっと以前にも、やはり精神科医に話しをしたらいきなり処置入院させられたとの事、家族の依頼があったんでしょう。確かに突拍子もない話しではあるけれど、それが単なる妄想なのか、事実なのか、あるいは事実の読み違いなのか、第三者からは判断しようがないというのが実際の所。 現実、事実は多様でとてもあり得ないような事が起こりうるのも現実です。それを体験し、実感した人にとっては事実たり得ても、その語りがどうしても受け入れられない人にしてみれば、妄想か嘘か、悪意かと、理解してしまいがち。 ですから、私はカウンセリングとしてお聴きする場合、どんな人の語りでも、それはその人の世界の出来事としてお聴きするし、それが嘘とか妄想だとかのラベリングはしません。そしてその世界に入って、一緒に問題解決をはかるのですが、私が巻き込まれてしまわないよう、私の言動に付いては、常に私の認識する現実、あるいは世界を俯瞰する視点もあわせて判断するようにしています。 私の基本はそれぞれの世界を尊重するということ。それが重なりあわなくてもいいし同じでなければならない訳でもありません。ですから私の価値観を押し付けるつもりも無いし、相手の語りに巻き込まれて自分が問題を抱えてしまう事にもなりません。 これは援助の基本だと思いますが、精神科医は自分が正しくて、患者がどの程度おかしいか、自分が判断するという立場に立ちます。精神科医の下請けカウンセラーであれば、ドクターの判断に従って、話しを聴くしかありません。ですから、突拍子もない話しは、即統合失調性の妄想として聴くしか無くなる、ということでしょうか。 また、下請けでなくて、独立したカウンセラーでも似たような治療構造のもとに話しを聴くとすれば同様な事は起こりうると思います。 ほんとに確固たる客観的な現実の世界があり得るのか、私はそれがあったとしてもそれを無条件に存在するものとして信頼する事はできません。常に、誰の世界か、ということを感じながら仕事をしています。 要するに、世界はその人の意識の投影にしか過ぎなくて、その人を巡る世界はその人自身が作り上げていると言っても過言ではないでしょう。極端な場合、夫婦関係でも夫から見る家族と妻から見る家族とはまったく違うものがあって、よくもまあこれだけ、主張の食い違いが大きくなったもんだと、感心してしまいます。もとは愛し合って一緒になっただろう夫婦なのに・・・・それぞれの話しを聴けば、どちらが正しいとも言えなくなる場合がほとんどです。ほんと世界はその人の意識が投影される・・・・ 以前・・・私の言動を理解できない人たちが、うわさ話を聴いた嫉妬妄想の果てに私をセクハラカウンセラーに仕立て上げたり、その報道を見聞きした人が私をとんでもない人と妄想する・・・まあ、世間の常識的な価値観に縛られないで仕事をし、暮らしている私には、充分あり得た話しですけれど、当時、私はスタッフという人たちがもう少し、人の言動に惑わされないしっかりした人たちだと・・・・甘く見ていましたねぇ。これは私の失敗でもあり、学びでもあります。 という訳で、今はその辺り巻き込まれる事なく、私との信頼関係を保てるくらいの援助者としての人間的な資質を確認できた人たちだけで、センターを維持していますので、とりあえず問題も起こらず順調に推移しています。またどんなクライアントに対しても、大きな問題も起こらずそこそこしっかり寄り添えてるのではないかと、自負しています。 それにしても、いろんな人のいろんなお話を聴けば聴くほど、世界は不思議で多様でなぞに満ちているって実感するこのごろ。常識に縛られないで生きてると、いろんな世界を覗けるのでほんと面白い。下手なドラマよりもよほど面白い・・・そんな事を感じる最近の私です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|