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昨日はけっこうのんびり仕事してました。お昼にはしばらく来談されていなかった方がこどもさんを連れて来談されました。せっかくですから、簡単なランチも一緒に楽しんで・・・。
家族に問題が起こったとき、善悪で判断しようとすればそれぞれの正当性をぶつけあって争うしか無くなります。そこに弁護士やら司法判断やらが介入し、対立は激化し、当事者の傷付きは深まります。 私は極力善悪では判断しないように心がけますし、クライアントに対しても善悪ではない判断をされるよう促します。私がしばしば提案するのが善悪ではなく快、不快の判断基準です。それぞれの関係の中での適正距離とか、心地よい役割分担とかを基準に考えてもらいます。 性別役割意識とか依存心とか義務感とか世間体とか、従来の価値判断はそれに善悪がかぶさります。とはいえ、夫婦と言えど育ちや体験はそれぞれ異なります。そのズレは相手に対する不信感に繋がりますし、下手に専門家にアドバイスをもらうと、相手に対する悪意さえ読み取ってしまいます。 相談はバイアスや誤解を含む語る人の主観的な文脈を、専門家が判断・助言すると言う作業ですから、修復的にはなりにくいのは当然です。弁護士は双方代理はできませんから、すべてを依頼人の法的利益・・すなわち金の問題に還元して争う事になります。 そんな支援ではなく、それぞれの関係の中で様々にあり得る可能性を求めて、手探りで双方にとってのよりよい結論になるように時間をかけて支援していきます。さきほどの親子、二年ごしの支援になっていますが、当初は考えてもいなかった家族の形におさまったようです。 金かけて闘うでも無く、相手を非難するでも無く、双方が自身の認知や情動にフォーカスするよう促し、その部分のギャップを調整していくと言う作業を続けて頂きました。その結果の家族形態の進化でしょう。おそらく常識的にはあり得ないであろう家族のありようできっと幸せに暮らしていくんだろうなぁ・・・と納得。お手伝いさせて頂いた私も嬉しくなりました。 こんな家族の変容に寄りそうには、多様な家族のありように対する理解や共感が援助者には必要です。家族はこうあるべき、これが正しい家族、というような常識的な価値観に縛られている援助者には難しい事かもしれません。そんな援助者は自身の価値観と違うクライアントの状況を受け入れず、コントロールしようとしてしまいます。それは相互不信や闘いになる事が多いように思います。 常識にとらわれない支援・・・常識にとらわれない(非常識な)私だから難しくないのかもしれませんねえ。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/09/24 09:29:02 AM
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