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夜バスが丸の内に着いたのは七時前、まだ気温はさほど高くなくて爽やかな朝。ビルの谷間の木陰ではクマゼミが賑やかに鳴いてます。
さてさて、今日はこれから銀座ワークです。ミニゼミでは何のお話しようかな・・・これまでナラティブについてお話ししてきたので、ナラティブの先にあるメンズの理屈も話したい所。メンズセラピーでは個人の病理症状は社会の差別抑圧構造が原因していると考えるので、個人の病理症状だけにフォーカスしていても、病理は再生産されるので、マクロには無意味となります。 個々の症状を改善するだけでなくて、マクロな社会の病因に対しての根本治療をしなくては、いつまでも人々の苦悩は終わりません。そのために社会の様々な病理に対して働きかけ、その病理構造をなくしく必要があります。 ナラティブだと、家族やちいさい社会の抑圧構造に対して、個人の病理と関連づけオールタナティブな物語りに組み込んでいくようですが。社会全般に対して、同じような働き掛けを行う人はいないようです。 フェミニズムの場合女性差別が女の苦悩の根源と理解しているので女性差別をなくすと言う事と、セラピーが密接不可分なものとの理解があるようです。それが間違いとは思いませんが、フェミニズムで言う社会病理は男性支配ですから、男と女の闘いがセラピーの大前提になります。 メンズセラピーでは、差別抑圧構造は必ずしも性別で成り立つているものとは理解していません。男性も差別される側に立ちうる存在で女性も差別する側になりうるものとの理解があります。ですから、女であれ男であれ、差別抑圧構造からの解放が病理症状からの治癒をもたらす、との考えも成り立つし、女と男がともに癒しあい、育ちあうという関係も成り立ちます。 差別抑圧構造は権力構造を伴うけれど、この権力構造を排した所でのセラピーを行うのはナラティブも同じだけれど、世の中がおかしいよね、と言う時に、その世の中で立派なセンセとして評価され稼いでいる人と、世の中から疎外され病理化してる当事者とのそもそもの社会に於ける権力構造のたちいちの違いをセラピーの中でどう、矛盾なく関わるか・・・これはとても難しい。だからナラティブでもそこは触らない(笑)私は立派なセンセではないし、様々な社会の抑圧構造から来る経済的な利益もあまり手にしてないし、クライアントに寄り添うのに矛盾なく寄り添える。 こういうのって、裸の強みっていうのかな。私が一切の防衛を解いて、相手に裸の自分を委ねる事で、クライアントも防衛をといて無力な自分を受け入れる事も可能となる。そこではじめて、人生の産まれ直しやら育ち直しという、魂のセラピーが可能となるのかな。ああっ私の妄想です(笑 さてさて、今日はどんな1日になるのかな。どんな人と出会いどんな物語りに触れるのかな・・・ 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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