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先日やっとシネマ「ゴーンガール」にいきました。何人かの知人に面白かった、と聞いてますし、デビッド・フィンチャーのサスペンスとなると、期待したくなる私がいました。
結果は期待通りの面白さでしたねぇ。女は恐い、と言う言葉は恐くない女に対して失礼だし、女だって男だって、予想外の事をされたら恐くなるのも当然と言えば当然なのでねぇ・・・・ 私がゴーンガールをみて、思い出したのが、自宅にマスコミのテレビカメラがやってきて、自分の顔がテレビ放映されるというシーン。私の四年前を思い出しました。 あれはもう四年ほどまえのある日突然、複数のマスコミのテレビカメラやら記者やらがどやどやと事務所にやってきました。私は一体何の事かわからず「何ですか?」テレビ記者は「あなたセクハラで訴えられましたよ、ご存知ですか?」私は「は?なんの話し?、セクハラ?誰の話し?」。記者は続けて「原告はあなたにセクハラされた、これこれあれこれされたって記者会見しましたよ」「訳わからんですねぇ、誰の話しやら?寝耳に水の話しです」 よく聴いてみると、半年前に突然ぶち切れて辞めた元スタッフが原告らしい。辞める前も辞めた後も労働相談とか人権相談とかも行くはずもなく、労基からも警察からも、なんの警告も問い合わせもなく、私もそんな事実もないし、まったくセクハラで提訴してくるなんて、予想もしてませんでした。だから、突然のテレビの質問に、具体的に証拠をだして反論を説明する時間もなく、「寝耳に水」というのが精一杯。 二時間後は夕方のニュース番組でセクハラで訴えられたカウンセラーと一斉に大写しで報じられました。それを見てた連れ合いから事務所に電話があり、「あんたテレビ出てるでーセクハラしたんかー」「してないしてない、よーわからんけれど帰って説明するわ」と返事。 こんなこと許せる事ではないけれど、マスコミ報道のいい加減さやら、それに踊らされる世間の人々の軽さ、愚かしさも思い出されたし、「ゴーンガール」の主人公ニックの不安やら憤りもまったくの他人ごととは思えませんでした。 それに、ニックに対応した無能な警察の偏見に満ちた対応にも腹だたしくもあったけれど、私を黒判決にした司法も許せない私です。とはいえ、争うのは私の価値観にはそぐわないし、訴訟を継続するのも時間と手間の無駄と判決を受入れて、請求には応じましたけれどねぇ、何のための司法か、ほんとにそのお粗末さを実感させられました。腐ってます。その司法判断に巻き込まれて、私との関係を切った、多くの行政やら専門家たちの不節操さも、実感。 とはいえ、この事が私の人生の汚点になるはずもなく、私はこの体験から多くを学んだし、このエピソードは同じく冤罪や理不尽な判決に苦しめられる当事者に対しては、とても役立つエピソードになっています。司法も行政も弁護士も期待するな、役に立たないものと理解して利用しなくちゃねと。 それにしてもニックのこれからが気になるジエンドでした。どーなるんでしょうニックのこれから・・・・えっ、私?、私は大丈夫ですぅー。 昨日のゲストがお土産に持参してくれたちょー特大大根。三キロ以上はあるでしょね。 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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