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私のしばしばやるワークに「どつぼの日」があります。過去最悪の日を思い出してその情景を描いてみてくださいというもの。さらにその描かれたどつぼ(関西で言う最悪)体験をみんなと語り合ってもらいます。
誰にも言えなかった、恥ずかしい思い出したくもない体験・・・あえて語り合う事で・・マジックのような事が起こります。もちろん、それはワークの場で、安心や安全、共感や受容の場である事が前提ですが・・・ どんな体験であれ、一人で抱え込むのと、分かち合うのとでは、まったく意味が変わってきます。自分に取ってどつぼと思ってた事が人にとってはとても勇気づけられるエピソードだったり、安心できる体験だったり・・・過去は変えられなくても体験の意味は変えられる・・・それは他者と分かち合う事であり、未来の物語りを紡ぎ人生を書き変える作業です。 以前男ワークでこのどつぼの日を行ったとき、たまたま十人くらいの参加者のうち、二人がうんこを漏らした事を書いてました。その事をシェアしてると、俺も、私も・・となんと合計で六人ほどがうんこもらし体験をしてる事がわかりました。俺はこんなにもらした、僕はこうだった・・などなど多いに盛り上がって、うんこ体験は自分たちの距離を縮める、輝ける体験に変わってしまいました。 ほんと、体験や状況は、どう意味付けられるか、それが重要であって、体験や状況そのものは問題の本質ではないのだけれど・・・多くの人は状況や体験が本質だと勘違いしてて、苦しみや悲しみから逃れられずにいます。 こんな事かきたくなったのは・・昨夜はシネマナイト、イミテーションゲームをみたからかもしれません。いろいろパーソナリティーに困難を抱えている天才数学者がドイツ軍の暗号を解読する装置を完成させるまでの、そしてその後の物語りです。 パズルゲームの解読には天才的な能力を持つけれど、そのパーソナリティーの特異性や仕事の機密性から、他者からの理解を得られず、偉業も軍事機密として社会に公表される事も無く、不遇の死を遂げたアラン・チューリング。没後50年が過ぎてやっと彼は世界に名誉を讃えられます。 彼の没した年に生を受け、彼ほど天才でもなく、彼ほど傲慢でもなく、彼ほど変態でもない?私も、他人のやらない事を立ち上げ、確信を持ってやり続けてるし、やってもないのにセクハラカウンセラーにされちまったし、行政や専門家、マスコミからはシャットアウトされてるし、どこか彼にシンパシーを感じる私。 そんな私の確信は昨夜のシネマでさらに深まるけれど、世間から打ち捨てられたクソの中にこそ、世間がパラダイムシフトするための宝が隠れてると言う事。世に輝く知性や権威は、私にとってはクソ。世間のいうクソの中に宝・・・量子論的思考からは当たり前の事だけれど、古典力学で思考する世間には通じないよねえ。でもでも・・世間からクソと言われた当事者には通じる話なんですよねえ・・・ ああ、クソ、クソって、気分を害されてたらごめんなさい・・・最近咲き出した事務所のプランターのお花で少し気分を直してくださいねー♫ 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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