2015/01/01

世界平和を妄想する元日

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謹賀新年・・・・なんですが・・・あけましておめでとうございますと言うには、私の意識は少々ひねくれてて・・・(笑)

今朝の朝日朝刊にピケティーのインタビュー記事があって、納得。ピケティーははやりの経済学者らしいけれど、私は彼の名前は知ってるけれど著作を読んだ事はありません。記事では、経済は人々の欲望に基づいてるけれど、格差拡大を伴って社会を不安定化させるから、格差の縮小をもたらして社会を安定させるのが政治の役割だとの事を、言ってましたねえ。

イスラム国の出現のように近年のイスラム過激派が台頭してきたのも、イスラムの人たちのそれぞれの民族間の価値観の共有ができる前に、格差拡大が進み、貧しくなったイスラム文化の人たちが、近代の西欧資本主義文化がその元凶と暴力的な抵抗を始めたと言う事でしょうかねえ。これは私の推論です。

フセインやカダフィーを倒すのではなく、彼らの政策をあらためさせるべきだったと思うけれど、後の祭り・・十年前ほどのソマリアのような出来事が、はるかに大規模な世界的な規模で起こり始めているのがイスラム過激派の活動のような気もします。

暴力を暴力で押さえ込むのは限界があって、絶望する人々にとって死は恐くない。暴力に走るものを制するには希望を与える事しか無い。わかりあえる、分かち合える、ともに存在する事の喜びを伝えるしかないように思います。

これを国際的な規模で行うのはとても難しいし、それなりの政治力が必要だけれど・・・少なくともあべちんには無理。まったく反対方向を向いてるもんなあ、アナクロニズムだしぃ。まあ世界とか国家とかの話しでなくても、DV虐待も同じ事のように思えます。

加害者を力で抑えて、自由や家族を奪うのはよりハイリスクな状況になりかねません。時間をかけてパワーコントロールしないされない関係の心地よさとか、安定を理解してもらう事で、暴力やコントロールを自ら手放すし、それは永続的な非暴力、自由で対等な関係を構築することになります。

家族と言うレベルでも国家と言うレベルでも、同じような原則が働いているんでしょうねえ。私は国家規模の問題解決には関わりはないけれど、家族規模の問題解決には、それなりの自負も実績もあるし、家族みんなが幸せになるための私の援助論を世間に伝えたい、というのが今年の私の抱負です。

こんな妄想チックな元旦の思いの私ですが、皆さんには今年もよろしくお付き合い頂けますようお願い申し上げます。皆さんにとってもこの一年が素敵な一年になりますように・・・



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Last updated  2015/01/01 12:27:42 PM
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