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礼拝説教 他

2007年03月07日
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カテゴリ:礼拝説教 他

新川水路
《礼拝説教》     「しかしお言葉ですから」     2007・03・04
ルカ5:1-11                   深谷 牧師

5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
                  (日本聖書協会 新共同訳)
【はじめに】
 わたしたちの生活の中では時に、このペトロたちのように「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と言うような状況があります。一生懸命がんばったのに、その努力が泡に帰した、と言うような体験です。それは小さな挫折のようなことかもしれません。でも、小さな石ころやちょっとした出っ張りで転んでけがをしてしまう時だってあるのです。労苦が報われない、自分の思っていたような成果が得られない。網を打っても、打っても、その網には、流木と海草のくずとかしか入っていない。どっと疲れの出た漁師たちは、肩を落として港に入ってくる。今日の話はそのような状況から始まってゆきます。そして、主イエスが、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と言いました。そして、その後で、彼はいいました。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」。しかし、お言葉ですから・・・・。今日はこの言葉を中心にみ言葉を頂きたいと思います。

【今日の聖書箇所の概説】
 このとき主イエスは、ゲネサレト湖畔に立っておられました。すると神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来たのでした。2節には、イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になったこと、そのときに、漁師たちは、舟から上がって網を洗っていたことが記されています。主イエスは、そのうちの一そうであるシモンにお願いして持ち舟を借りました。そんなに大きな舟ではなかったのでしょう。その舟に乗り、岸から少しこぎ出すように頼み、そして、海をバックに腰を下ろして、舟から群衆に教え始められたのでした。10人や20人に語るのならいいのですが、数百人に語る場合、設定も大切になります。海辺で話すのは波や山に声が反射してよく聞こえるのだそうです。主イエスの声はきっと良く通ったのでしょう。そしてペトロは主イエス様のそば近くで、それこそ、つばのかかるような近くからじっと主イエスの説教を聞くことになりました。

【メッセージのポイント】
1)4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 (4節)
⇒ 沖へ漕ぎ出だせ!
 今日の聖書の物語は、「沖へ漕ぎ出して」と言う印象深い言葉が語られます。神の恵みの中へとこぎ出だす生涯を暗示しているような言葉です。
聖歌597に「沖へ出でよ」と言う讃美があります。味わいのある歌詞なのでここに記してみます。

父なる神の恵みは  限りなき海ぞ 
友綱を解きて沖へ 漕ぎ出でてみよや  
* 折り返し
沖へ出でよ  岸を離れ  
主の恵みのただ中に いざ漕ぎ出でよ

世の人は岸に立ちて  沖おば見るのみ
主の恵みの深さなど  あえて知らんとせず

あるものはわずか漕ぎて 遠く乗り出さず
帰る波に飲まれたり   船ともろともに

乗り出だせ沖をさして  恵みの潮の
瀬に流されてすべてを  主に任すまでは

皆さん、信仰生涯は、ちょうど大海原に舟を出すようなものです。沖へと進み行きましょう。

2)5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。(5節)
⇒ しかし、お言葉ですから!
 この、「しかし、お言葉ですから」、と言うこの言葉は、この箇所の中心的なメッセージなのではないでしょうか?
 シモンは主イエスに言いました。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」。これは本当につらい徹夜の作業があったことを示しています。何も取れなかったのです。まさに、昆布の切れ端、流木、海草のくず・・・そのようなものしか取れなかったのです。徹夜でしたのですから、もう一度、沖まで漕ぎ出すのは大変だったに相違ないのです。それにペトロは漁師としてのプロの感覚からいえば、さかなは夜から明け方にかけて取れるもので、もう、太陽が高く上がってからなどは、網を下ろすなどと言うことはあまりなかったようです。
それでも、「しかし、お言葉ですから」と、ペトロは主イエスの「み言葉に従って」行動を始めたのでした。きっと主イエスのお話がよほど感動的で心動かすところがあったのでしょう。
皆様はいかがでしょうか?「今までなかなかうまく行かなかったですよ。何度かやり直してみたけど、だめでした・・」。いろんな人生の体験があることでしょう。
でもここに、ひとつの手がかりがあります。「しかし、お言葉ですから」。これは現実がどのようであっても、全能なる神のみ言葉を大切にして歩む人生を意味しています。み言葉に従う道です。

3)6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたから。(6,9節)
 ⇒ わたしから離れてください。わたしは罪深い者です!
ここには主イエスのみ言葉に従って漁をした結果が、興味深く記されています。おびただしい魚がかかり、網が破れそうになって、もういっそうの舟にも応援に来てもらって、二そうの舟で一杯となったので、舟は沈みそうになったと言うのです。
ペトロは全く驚いてしまいました。彼、シモン・ペトロは、聖なるおそれにとらわれて、イエスの足もとにひれ伏しました。そして、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったのでした。これは実に生々しい描写であろうと思います。
人は聖なるお方に出会うときに、自分の愚かさや本当の意味での罪の悔い改めが始まります。

4)10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」  (10節)
⇒ 恐れるな!あなたは人間を取る漁師となる。
最後に主イエスはペトロに言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と。
事実、ペトロは、人々をすなどり、天国へと導く、天国の漁師となりました。神はペトロを選んで、聖なる伝道の使命を与えて、新しい歩みを与えられたのでした。
3月2日は、東京聖書学校の卒業式でした。ある神学生が挨拶で言いました。「わたしは今、東京聖書学校が、日本一の神学校だと思ってここを卒業し、伝道の第一線に立ちます」。ある卒業生は「わたしは神学校での4年間の学びで入学したときとは別の、深い恐れとおのれの愚かさを感じております」。

【 祈り 】 全能の主よ。この新しく迎えたこの1週間、あなたのみ前に、整えられた出発を感謝します。「沖へ漕ぎ出し漁をしてみなさい」、あなたのみ言葉を明確に信じ、いつでも「しかし主よ、お言葉ですから」とあなたのみ言葉を信じて大胆に進むことができますように。主イエスの聖名によって祈ります。アーメン!

写真は、赤羽の近く荒川放水路です。







Last updated  2007年03月07日 22時22分17秒
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2006年10月15日
カテゴリ:礼拝説教 他
今日は深谷美歌子牧師がすばらしい説教をして下さいました。

「信仰の薄い者達よ。思い悩むな」  マタイ6章30・31節
全ての「思いわずらい」の解決は主イエスさまを信じることで与えらます。ここでは「信仰の薄い者たちよ」と言われていることに耳を傾けましょう。これはすでに信じた者達、つまりクリスチャンに向けられた言葉です。信じてはいるけれど「信仰が薄い」。「信仰が小さい」と訳しているものもあります。すでに赦しと永遠の命をいただきながら、目の前に自分で解決できない課題が起こってくると、「思いわずらっている」わたしたちに対して、「信仰が薄い」と語られます。信仰が無いではないが、信頼しきっていないからだ。全ての必要はご存知(32節)の方に全服の信頼をしていたら「思いわずらわないのだ」と。もしクリスチャンでありながら、思い煩いの中にいたなら、悔い改めて主に信頼しましょう。

そして優しく語られました。
「神の国と、神の義を求めなさい」 33節
クリスチャンのなすべきことがこれです。神の国とは天国のことです。神の支配される平和、喜び、感謝、讃美の世界です。そして正義が正しく行われることを求めることです。死んでから入るのではなく、主を信じたものがそこにいるように求めなさい、と言われています。それは、いま自分が願うこと、大学合格とか、病気の癒し、等が答えられる以上のことです。それらはちがう答えがでるかもしれません。最善をもって臨んでくださる神に信頼して、安んじていられるように求めましょう。

一同、大きな平安を頂きました。
今回は赤羽ユースの「ハープ」のグループが特別讃美をして下さいました。若い方々の声は、不思議な伸びがあり、感動でした!






Last updated  2006年10月15日 22時43分05秒
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2006年10月11日
カテゴリ:礼拝説教 他
8日の特別礼拝で深谷牧師が詩編23編からの説教をして下さいました。詩編23編はいいですね。「真珠の詩編」(スポルジョン)を味わいながら、「満たされたひと時」でした。

「わたしの杯はあふれます!」
5 わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。(5節)

今回は、神様の不思議な導きで魂が満たされることを学びました。
アメリカのリバイバルを導いたフィニーなどは弁護士の仕事をしているときに神の恵みが波状攻撃のように彼にやってきて、彼は机で仕事ができずに、机の下にもぐって、「もう結構です主よ、それ以上恵まれたら息がとまってしまいます」と感謝を捧げたと言います。
内側が神の恵みと慈しみで満たされて生きることが大事だと思います。
ボールも空気でいっぱいだと、床に叩きつけられてもいよいよ恵みに満ちて跳ね返るのですが、恵みで満ちていないと、ベチョッとつぶれてしまいます。
恵みに満たされて歩みましょう。

聖歌隊
恵み満ちて讃美する聖歌隊






Last updated  2006年10月11日 16時56分18秒
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