表紙の汚れた帳面に記された約束の場所「ナンテの木の下で」

2006/08/24(木)11:20

東京オリンピック開催 昭和39年

あやふやな記憶・昔話(59)

東京という街はとっても遠いところにある我が国の首都でした。 少し前に日の丸の旗を振って聖火のリレーを見ました。 オリンピックがなんなのか本当は何も解ってはいませんでした。 すごい行事が日本であるのだと思っていたことは事実です。 長い長い開会式があって 聖火台に火がともされたとき「すごい」と思ったことは覚えています。 小学校も休みでテレビにかじりついていました。 競技そのものの画面は本当はその時の記憶なのかどうかは判然とはしません。 後から何度も見たためだと思います。 ハダシのアベベ選手という名前だけがはっきり記憶に残っています。 テレビは私たちの友だちだったわけではありません。 いつも外で 空き地や公園で走り回っていたような気がします。 大相撲では大鵬が大記録を出していた頃だったようです。 父親たちがテレビに熱中していて その上悪いことに大相撲の中継は時間を延長しても放送されていたようで 私たちは「ひっこりひょうたん島」を見ることができなかったような。 (NHKでしたから放送あったのでしょうか?定かではありませんが) この頃鹿児島のテレビに映るのは三局だけだったのです。 NHKとNHK教育そしてMBCという民放が一社です。 テレビはNHKを見るものだと決められていました。 民放は娯楽だからためにはならない・・・そんな頃でした。

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