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北国からのこだま

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2009.04.26
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    裁判員制度になっても殺人は原則死刑である   4月26日    

 裁判員制度を題材にした漫画が原作のドラマ「サマヨイザクラ」(フジテレビ系で5月30日夜放送)の制作発表が東京都内で開かれ、出演の伊藤淳史、塚本高史、加藤ローサが出席したいう。フリーター伊藤は「(作品を見ると)制度に関する知識や心構えも、きっと変わると思います」と話し、塚本は「ドラマをやってみてなおさら思ったんですが、(制度スタート後は)死刑(判決)が減るんじゃないかなといっている。

 被告人やその親とかを間近で肉眼で見て、果たしてその人を殺せるのか。死刑にする投票になったら、自分はできないと思う」と切実な表情で語った。これはおかしな話である。刑法では殺人は原則として死刑となっている。裁判員制度ができたからといって死刑が減るという考え方は間違いである。あくまでも法に照らし適正に判断をおろさなければならない。

 この文章では、死刑を減らすことが目的のようであるが、死刑に値する罪を犯したものは、死刑になって当然のことである。またこの文章は被害者の遺族に対してなんら触れていない無責任極まりない、表現をしている。私から見れば殺人者に組する偏見としか見えない。もっと被害者や、その家族に思いをいたしてもらいたいと思う。死刑は法務大臣の命令により実施するもので、一時的な感情にもとずいてなされるものではない。

 この漫画は、殺された人たちの恐怖と、苦しみには、なんら触れていない。人は殺される瞬間は、恐れおののいて殺されていくものと思う。安らかな殺人はありえない。にもかかわらず、この漫画の関係者たちは、被害者の苦しみ、遺族の悲しみには、なんら触れていず、他人事のように話しているのは、理解に苦しむところである。

 人を殺すことは最高の悪であり、死刑になりたくないならば、人を無慈悲に殺さないことである。殺人はあくまでも原則死刑である。





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Last updated  2009.04.26 05:41:31
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