1910年にハレー彗星が来たときは?
新型インフルエンザ騒動で、みんなマスクをしている。1910年には当然私は生まれていないので、読み聞きした話で恐縮ですが、あのとき、ハレー彗星が大接近し、彗星の尾の毒成分が地球の大気に影響して10分間空気がなくなるとかなんとか噂が広まったそうですね。それでヤバイと思った人たちが、タイヤのチューブを買い占めたり、桶に水を張って息をとめる練習をしたり、という笑止千万な話ではなかったかと。あれ? なんか、似てません?という話はおいといて、1910年(明治43年)5月19日(ちょうど99年前!)の新聞記事 「尾の内に含まれる水素が地球の空気中に存在する酸素と化合すれば、人類は皆窒息して死滅する。もしまたこの反対に空気中の窒素が減ずる場合には人類はいきおい狂気の極に達し、踊ったり跳ねたりして、ついにやはり死滅せねばならぬはずだと述べた。」<大阪朝日新聞> このフラマリオン(Flammarion,Nicolas Camille)の人類死滅説の影響はいかほどだったのだろう。「浅草七軒町の府立第一高等女学校の一、二年の生徒はもう十日も前から、よるとさわると「十九日は私どうしたらいいんでしょう。死ぬなら皆さんと一緒に死にませうね」「わたし母さんや父さんと死んでよ」「だから勉強したってつまらないわ」いずれも小さな胸を痛めて、先生が何といわれても、その話ばかり夢中になっている。恐らく、今日の昼頃は、胸をドキドキさせてる事だろう。」 <読売新聞 明治43年5月19日>「まず飛び込んだ玉の家栄太郎(三十三)方では十八日夜、いよいよ明日がお陀仏だというので、養女ポン太(十五)をはじめ一味のドラ猫、額を集めて大評定。無け無しの小遣い銭を気前よく投げ出して飲めや喰らえの大陽気。ついに夜を明かして十二時になっても何事もないので、口惜しそうに天を睨んでこの彗星と馬鹿呼ばわり。この散財しめて五円二十七銭也。」 <夕刊やまと新聞 明治43年5月20日>庶民の悲喜こもごもには愛しさすら感じてしまうけれど、フラマリオンさん本人は、当日何をして過ごしてたのかしら。