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カテゴリ:昔の話
長谷川集平は、私と同年代 「はせがわくんきらいや」 という、絵本を描いた人 それは、昭和30年に西日本で起こった事件 粉ミルクに「ヒ素」という猛毒が、製造過程で混入し そのミルクを飲んだ赤ちゃんが、亡くなったり ひどい障害が残ったりした。
私は、4人兄妹の3番目に生まれた。 兄が4歳、姉が2歳のときだった。 生後間もなく、消化器内で大出血を起こした。 新生児メレナという病気だった 母体のビタミンK不足によって起こるらしい 幸い消化器の出血だったので、後遺症などは残らなかった。 脳で出血が起こると、かなりの障害が残るだろうと 大きくなってから知った。 私は生後まもなくそういう病気をしたこともあり それからも、しょっちゅう病気をする子どもだったらしい 風邪から中耳炎を起こしたり、肺炎になったりして 母は権現様にお参りに行ったこともあると言っていた
だからかもしれないが、私の小さい頃の写真は 他の兄妹たちに比べて、極端に少ない 「写真を撮ると、魂が抜かれる」 などと、祖母たちがよく話していたからだろう。
祖母と母の話では、 私は目がくりくりして、可愛い子どもだったそうだ
お産婆さんに 「この子は育たんかもしれん。3つまで生きたら、それでええと思いや」 と言われ 母と祖母と、近所に住んでいた祖母の姉と妹たちが 代わる代わる子守をしてくれたそうだ。 3歳まで生きたら、今度は7歳までと 祈るような思いで、周囲の人たちは私を見守ってくれていた。 体の弱かった私は なんとか小学校に入学しても、午後になると具合が悪くなり しょっちゅう保健室のベッドで横になっていた。 放課後、私のランドセルを持った姉が迎えに来て、一緒に帰ってくれていた。 体育の授業は、いつも見学していて 運動会にも出られなかった。 私自身は、痛くも痒くもなかったし 月に一度だけお医者さんに診てもらうだけだったので 自分が病気だという自覚はなかったように思う むしろ、お医者さんに行くときだけは母を独占できて、嬉しかった。
一度だけ母の口から 「あんたをこんげな弱い子にしたんは、母さんのせいじゃから」 という言葉を聞いたことがある。 幼い私には、その深い意味などわかるはずもなく なんとなく覚えていただけだった。
小学校の高学年あたりから、 相変わらずやせっぽっちで、小さな子だったが めきめき元気になっていった。
母の心配をよそに、看護師というハードな仕事にも就いた そして、結婚もした
長男と次男が誕生して、私も母親となり 「あの時母さんが言ってたのは、どういうこと?」 といつか聞こうと思っていた矢先に
母が急死した
ついに聞けなかった
母が亡くなって、しばらくしてから 私は姉に、その疑問をぶつけた。 姉は母から少しは聞いていたらしく 「ああ~そのこと?私らはみんな母乳で育ったけど、あんたは体が弱かったけん ミルクを買って飲ませたらしいよ」 そのときすでにヒ素ミルク事件の知識があった私は 「じゃあ、私もヒ素入りミルクを飲んだかも知れんの?」 「うん。母さんはそれをすごく気にしてたんよ」 そうか!そうだったんだ。 やっと謎が解けた。
体の弱かった私のことを、いつも気にかけてくれていた母 なのに、反抗して母を困らせてばかりだった 母の苦労は 自分が母親になって、初めてわかった。
母さん、ごめんね。
長谷川集平は、このミルクを3缶飲んだそうだ 「はせがわくんきらいや」のあとがきで、彼は 「この事件抜きに、今の私は語れない」 と言っている。
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