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カテゴリ:日常
昨日、一旦書いたけどボツにしたネタがあった。
O・ヘンリーの短編『賢者の贈り物』を題材に、 あれは一言で言ってマーケティングが甘い。 お互いバレないように行動した結果、双方裏目に出てしまう。果たして賢者は誰なのだろう? で、さて、バレないように、バレないようにしていたのに、世間につつかれているネタ。 報道されている彼らの言い分を聞いていると、やっていたことへの罪悪感は欠片も感じられず、バレてしまったことが非常に不本意である、というスタンスにしか思えない。 例えば裏金をもらっていた野球選手。 ことが公になった時、球団側から自分は知らなかったことにしてくれと頼まれたが、嘘をつき続けて監督や他の部員に迷惑が掛かることにこれ以上耐えられず、本当のことをいうことにした、との記者会見。 彼が「迷惑を掛ける」と思っていたのはあくまでことが公になった後に嘘をつき続けることであって、決して、それまで3年以上に亘って金をもらい続けていたことについてではないのである。 (これまで3年以上バレなかったのになんで?あと1年バレなきゃ入団できたのに…) 例えば年500万円以上を光熱水費にかける国会議員。 はっきり言ってサラリーマンの平均年収以上の光熱水費って、一体どういう金銭感覚なのか? 1本5000円するペットボトル水を飲もうが、何十万もする浄水器を買おうがそんなことは個人の勝手だが、ワシに言わせりゃ、そもそも飲み水は食費であり、そんなに高価な浄水器なら資産になって消耗品では計上できないはずだ。 取ってつけたように、内容を公表しなくてもよい支出項目のところにペタペタと途方もない金額を貼付け、「公表する必要がないから」と開き直る。 問題は彼が選挙で選ばれた公人ってことだ。金で手に入れた椅子ならともかく、議員会館はワシらの税金で賄われているのだ。 これほど有権者がなめられているのだ。 (今まで飲んできた甘い水の味は彼にしかわかるまい…) 例えば点検時のトラブルを隠していた電力会社。 もう、疲れた。いくら電気がクリーンなエネルギーで地球に優しい、とかほざいたって、そもそも作る過程でとてつもない負の遺産を生み出しつづけているのである。絶対安全絶対安全と大騒ぎしているクセに、大都市圏には一つも原発はない、という事実。 なんかもう、バレなきゃ何やってもいい、そんな風潮が蔓延してる。 折しも粉飾決算で逮捕された元(笑)時代の寵児に実刑判決が出た、とのニュース。(「寵児」と変換しようとしたら「弔辞」が一発目で出てきた。) 彼に象徴されるような、金さえあれば…的発想や、金持ち=勝組といったカテゴライズ。そういう発想そのものの貧しさに気付かない現代のワシら。 ワシが思うに、お金に困らない生活と言うのは、欲しい時に何でもすぐ帰る経済力があることではなく、お金がなくても困らない、楽しく生きていけること、なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.16 14:16:07
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