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京都市唯一の火葬施設(火葬だけの施設を「斎場」とは呼びがたい)で、
「骨拾い」をしたことがある。 最近の火葬場は、ダイオキシン対策のため、高熱で焼き、昔に比べて骨はかなり脆くなってあがる。 (色の濃い花を柩に入れたら色が移るからダメ、というレベルではない) 1000度で焼けばダイオキシンは発生しないが、「骨」が残らず「灰」になるから、骨を残すためにギリギリ温度を下げて800度だとか。 さて、骨を拾う時に係員に渡されるのが「木と竹、片方ずつ」の違い箸。 周りが熱いから長いのは仕方ないが、そんな箸では使いにくい。 で、最初の骨は三人で摘んで壷に入れるように渡される。 「箸のタブー」とされることを次々やるのは、 「日常生活で骨拾いみたいなケガレを連想しない」よう、こういう場であえて「非合理」をするため。 門徒さんはしないが、逆さ屏風やら逆さ衣も同じ発想。 思想信条は自由だから、好きでする人をどうこう言わないが、行政が迷信を誘導しちゃいけない。 箸ぐらい自分で選ばせたらいいじゃないか…。小学校まで「選択」だというところもある時代に。 「死をケガレ」とする思想が、江戸時代に死体(人畜とも)に係わる仕事をしていた「えた」身分の人々を蔑むことに繋がるのだけれど、 いまだに、「差別そのものは残っている」として「同和行政」を存続する京都市自身が、ケガレ意識に立っている。 (「同和団体」の人々も、こういう「利権に繋がらないこと」では行政に突っ込まない。むしろ、差別がなくなって同和団体の存在意義がなくなったら困る…) 私の母の骨を拾った岡山市では(火葬場がいくつかあるので共通でないかもしれないが)、「木の箸」2本だった。(こういう時の箸の数え方は「一膳」じゃないと思うけど、どう数えるんだろう? 岡山なら「1ペア」だけど、京都は「ブタ」か) 最近、住宅事情やお墓事情で遺骨を持って帰れない人が増えているという。 火葬場の温度を利用者が選べるようにして、「1000度コース:灰だけ」 も有り、ではどうだろうか。 (「骨」だと散骨の規制もあるが、「灰」ならかなり自由) 故人は「骨」になったのではなく、「千の風」になって私達の周りにいる (実際に、体の大半の分子は二酸化炭素や水蒸気となり、地球を循環しています) …と思えば、骨にこだわることもないんですが。
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