2007/12/05(水)22:22
森鴎外の「失敗」
「評価されなかった日本人研究者」の代表にあげた1人。鈴木梅太郎。
のちに「ビタミンB1」と名づけられる「オリザニン」の発見は、
脚気の予防・治療に貢献した。
(なお、鈴木以前には「ビタミン」という概念が存在しなかったので、
「ビタミンそのもの」の発見、と評価していい)
「脚気=ビタミン欠乏症、という理論が医学界で支持されなかった原因の一つは
「脚気=細菌感染症」説に固執していた医学界が、
「農学者」に屈服できるか、という意地と、
「脚気=細菌感染症」説の提唱者が、
陸軍軍医でもあった、森鴎外(林太郎)だったこと。
じつは、脚気の最大の「被害者」は陸軍で、
日露戦争で3万人の脚気死亡者を出している。
(「戦死」が4万人といわれるが、脚気で逃げ遅れて爆死した人も多いだろうから、
実は、砲弾より脚気の方が「敵」だったともいえる)
「上官の命令は絶対」が軍隊の常。部外者の理屈を聞く耳は持たない。
(ちなみに、森の影響を受けなかった「海軍」は、「オリザニン」発表の前に、経験的に「麦飯」給食によって脚気を予防していたとか。)
意地になって、「海軍より陸軍の方がメシがうまい」と、白米に固執して被害を広げてるんだから、鴎外先生の残した「脚気菌の発見」の影響は大きい。
※そういう私も、「高瀬舟」について、ずーっと文豪先生を信じてましたから…。
(岡山の「高瀬舟羊羹」がなければ、「今でも信じていたはず)