2008/11/25(火)23:09
行政訴訟
行政をめぐる裁判というのは、数としてはけっこうある。
基本には『三権分立』があるので
単に『○○ダムの計画は住民の利益にならない』といって中止を求めても、門前払いされる。
まず、行政への不満は行政に訴えるのがスジである。
知事や市長が計画を出し、議会で認められて予算のついた事業について、計画そのものを中止させるのは、司法判断の対象外。
例えば、道路の建設が「莫大な予算を使い、予定地の住民の生活環境を損ねるのは判っているが、住民の不便を解消するためには必要である」
というのは『価値判断』になる。
京都市の桝本前市長が『高速道路の建設で市の負担は90億円だけ』
と言って、実際に2000億円かかっても、
『私の計算では90億だったが、結局、いろいろ膨らんで2000億円になりました』
と言い逃れをした場合には『司法判断』にはならない。(まだ市長になる前だったし)
与党議員が決算を承認してるから、責任は不問。
(「井上吉郎候補の指摘が正しかった」、と反省するような奴ではない。桝本候補に投票した市民も、『振り込め詐欺』の被害者が、銀行員に詐欺だと注意されながら、自分が騙されていると認めないようなもん・・・)
諫早干拓の地裁判決。(2008/6/27中日WEB)
干潟の地裁判決。(2008/11/19毎日.jp)
いずれも、『環境への影響は小さい』『得られる利益のほうが大きい』
という議会で認められたときの前提が崩れているので、
事業を進めることの合理性を欠く
というもの。
『実害』が出て初めて『前提』の誤りを認める、というのが、司法権力の限界でもある。
いま注目しているのが、
鞆ノ浦架橋をめぐる訴訟。広島地裁で進行中。
「橋」一つのために
『そこにしかない』ものを失って
『どこにでもある(ちょっとだけ道の広い)田舎町』になって
それで「町が発展する」という根拠を、どこから引っ張ってきたのか。
ちゃんと明らかにしてもらいたいもんだとは思う。