<養子縁組仲介>優先紹介で200万円 千葉の業者
毎日新聞 11/19(土) 7:30配信
【営利目的で特別養子縁組をあっせんした疑いがあるとして、児童福祉法違反容疑で千葉県警の捜索を受けた同県四街道市の民間事業者が18日、毎日新聞の取材に対し、県に不正を指摘されたケース以外に優先的に子供を紹介する費用として2組から計200万円を受け取ったことを明らかにした。
事業者は「一般社団法人 赤ちゃんの未来を救う会」(9月に解散)。県は救う会が東京都の夫婦から計225万円を受け取り、不適正に養子縁組をあっせんした可能性があるなどとして、9月に事業停止命令を出した。児童福祉法は営利目的でのあっせんを禁じており、厚生労働省は、優先的な紹介を条件に金品を受け取ることがないよう事業者に徹底させることを都道府県に通知している。・・・】
歴史的には、「子どもの売買」というのは奴隷商人と同じものだが、
「養子縁組」という民法上の制度で「子どもの親」を募る手口がある。
(さらに「特別養子縁組」という形で赤ちゃんの親になる方法がある。)
「子どものいない親」にとったら、自分たちに子どもがいないのに、
自分の実の子を虐待するような親は許せない。
虐待するつもりはなくても、お金がないとか、病気であるとか、諸事情で子どもを育てられない親が、
「自分のところで育っても将来がないが、お金持ちの家なら大学にもいけて将来のためになる」
という話はよくある。
子どもがいないと将来が不安だ、というお金持ちもいるだろう。
「自分の子」でないと安心できんのだろうなあ。
(映画、「ALWAYS3丁目の夕日」の逆パターンだが)
このへんだと、結局のところ「援助交際」あっせんと、業者の立場はかわらない。
「子どもの未来」とかいえば、美化されるだけで、ペットの売り買いと同じような連中が商売にする。
根本に「子育てするのにお金がかかる」とか、
「国が保障できるのは、最低限度まで」とかいう現状では、
「子どものいないお金持ち」に、商品として子どもをあっせんする連中が絶えない。
儒教思想の元で、「子は親の所有物」意識のある日本では、
子どもを社会的に育てることがなかなか根付かない。
子どもは国の(社会の)宝として、社会全体で育てる意識があれば、こういう事件にはならない。
(長いこと奴隷制がまかり通っていたカトリック系の国で、戦後民主主義の中で社会的養護が進んでいるのは、「神様の子」意識があるのだと思う。)
児童相談所では、施設のほかに、「養育里親」や「養子縁組里親」の募集をおこなっているが、
実際に「里親」希望者のうちで、研修を受けて登録されるまでは、かなりの手間がかかる。
登録されても、委託をされるのは3分の1ほど。
養育里親の場合、里親の目的は、実親の支援のため。
『社会的養護とは、保護者のない児童や、保護者に監護させることが適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、保護するとともに、養育に大きな困難を抱える家庭への支援を行うことです。
社会的養護は、「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」を理念として行われています。』(厚生労働省)
「子どもを育てる」意志と、「子どもがほしい」要求とは一致しない。
それに比べれば、「譲ります・もらいます」掲示板で、実親と養親が直接やりとりすれば、
児相も通さずに「契約」が成立する。
実親が「子どもを手離すに至った理由」も、養親が「子どもを育てるにふさわしい能力」も、
その後の子どもの成長も、
誰も保証しないし、責任を負わない。
本当に「いい人」が親にあたるかどうか・・という危ういことでなく、
「どんな親でも、子どもは社会が責任をもって守る」という前提がいる。
お金持ちは、しっかり税金を払ってもらって、「大学にいくのにお金がいらないようにする」
という貢献をしてもらいたい。
(現状で、国が保障してるのは、高校までの進学だけ。)