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名古屋市緑区の加藤厚税理士事務所 相続税 贈与税 相続対策 中京大学非常勤講師

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ベン・ジョンソン

はっきり記憶にある最初のオリンピックは84年のロサンゼルスオリンピックです。カール・スイスの4冠は見事でした。100M、200M、400MR、ロングジャンプと全てにおいてそつがない。100Mは圧倒的強さで余裕のゴール。それを横目に見てゴールしたまだ小柄な3位のベン・ジョンソン。まさにカール・ルイスの為の大会であった。

 そのカール・ルイスがスタートから全くついていけなかったソウルオリンピックの100Mファイナル。まさにロケットスタートで、距離にして1.5メートル、0.13秒もの大差で圧勝。褐色の弾丸、ベン・ジョンソンは100Mファイナルをこれまた圧倒的強さでトップでゴールした。衝撃的だった。自らの世界記録9秒83を上回る驚異の9秒79。ビックリするほどの記録でした。「今後100年はこの記録は破られないだろう」と豪語したジョンソンは、ルイスに変わるスーパーヒーローになるはずだった。ロスがルイスの大会だったというならば、ソウルはジョンソンとなるはずだった。 しかし、その3日後・・・
 
 ジョンソンは14歳の時に豊かな生活を求めてジャマイカからカナダのトロントに移住。15歳で才能を見込まれ、あるコーチのスプリンター教育を受ける。陸上競技は貧しい生活から抜け出す手段だった。だが、エリートのルイスには18歳のジュニアの大会から負け続けた。前回ロサンゼルスでは3位。同じ年のルイスが優勝して名誉と財産を手に入れたことに嫉妬もあっただろう。ルイスへのライバル心はハードな筋力トレーニングへと駆り立て強靭な肉体に変化し、さらには金メダルの為に“禁断の果実”へ手を伸ばさせた。スタノゾロールという薬物です。より早く走る体に仕上がりました。
 
 世紀の大記録達成から3日後、世界中に衝撃が走った。ジョンソンの筋肉増強剤使用が発覚。金メダルははく奪され、記録も抹消された。出場停止が解けて復活を期して臨んだ92年バルセロナ。明らかに筋肉の落ちた体は、それはもう見る影もなく予選通過もできなかった。薬物に染まったアスリートの1人であった。

 20歳の夏だった。名古屋が開催地の誘致に負けたオリンピックでもあった。


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