ぐる9:人生人生。私の一生は私だけが味わうことができ、それは過去にも未来にもない。私だけの一瞬一瞬の積み重ねだ。 昔から思うこと、なぜ人は生きるのか。 「人間は考える葦である。」 考えることがなかったら、生きることに疑問も、死への恐怖も抱くことなく、動物的に本能のままに生きることができたのかも知れない。 考える頭と、感じる心、なぜ神は人間にはそれを与えたのか。 他の動物のことは知らない。深く思慮していないと断言することは出来ない。でも、こうも悩み、神に逆らおうとするのは私の知っている限り人間だけだ。 人間は自分の存在を宇宙よりも尊いと錯覚を覚える。それもまた人間だけだ。 宇宙は広い。私たちの遥か予想を越える大きさと次元を含む。そんな宇宙すらまた別の宇宙の一部や何かなのでは無いかととさえ言われている。そこに流れる時間も私たちからすると軽く「遥か」や「永遠」を超えている。 私たちに流れる時間はせいぜい100年。30才に程近い私は人生の1/3は終わったのだ。 電車に乗り、ふと回りの人間を観察する。きばった格好に身を包んだ美人で若いOL、仕事の疲れからかみっともなく口を開き寝ているサラリーマン。仲間と笑いこける学生。浮浪者なのかなんなのか汚い身なりに不敵な笑みを漏らす男。それぞれが、それぞれの人生。一度きりしかなく、入れ替わりの効かない人生を送っている。それはある種不思議な光景だ。私にとってはまったく関係もなく、まったく知らない人たちだが、その人にとっては生まれてから死ぬまで脈々とつながっているのだ。替わりたいと思っても替われない、替わりたくないと思ってもそれもまたその人にはその人生があるのだ。 またその人はその空間を占有し、その人の視点は誰の見ている景色とも一人として同じものは無いのだ。 人間はいつか死ぬ。それは必ず誰にでも平等に訪れる。それは本人と周りの人間にとっては大きな重大なことかも知れないが、それで宇宙が揺らぐということは無い。要するに、ハエをつぶしてしまった前と後と大して差は無い。(もちろんハエを殺すのと人間を殺すのでは社会的にはまったく違うが。) 何のために生きるかを問うているだけでこの人生は終わってしまいそうだ。最期の時までに答えがわかればいいほうかも知れない。 そもそも生きることに目的など無いのかも知れない。人の一生にいちいち構っていられるほど全知全能の神は暇では無いだろう。 目的は知るもの与えられるものではなく、自分で持ち、そして喜びを知るためのものなのかも知れない。 生まれてから死ぬまでどれだけ感じてどれだけ自分が満足するか。 そもそも人生は宇宙のためではなく、神のためではなく、自分のためのものなのかも知れない。 どこへ行けば、何をすれば、つぶしてしまった時間に後悔はしたくない。 2006/4/12 ジャンル別一覧
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