壊れた私

*11/22~12/7(同居介護終了)の日記から

11月22日 木曜日 解放デーのはずが実母につかまりにいき、なおかつ全然解放されてない

待望の義母の介護保険証が戻ってきました。
「要介護4」です。
義父は「自立」に近いだろうなあ、と思っていて「要支援」。
義母は2に近い3あたりかなあ、と思っていてのこの結果。
嬉しい悲鳴というか、すごくほっとしました。
これからこれをどう生かすかが大きな壁なわけだけど、
気持ち的にはかなり救われた思いです。

今日は義父が「あっち(自分ち)に外泊してみようかと」と言いだし
「外泊ってなによ。ここの方が外泊だろうが」と言いながら。
昨日の脱走計画小手始めの効果てきめんか?なんて思ったり。

あぁ、超ひさびさの解放デー!と思いきや
実父母の方へ顔を出し、そのまま実父母デーとなり
ものすごくものすごく疲れる一日となった。

実母はずっとノイローゼ気味で…。(父のことで)
朝、母の話しを聞いて、
(今始まった話しではないけど、かなり切羽詰まっていた)
今日しか時間がとれないと思ったので、市役所に相談に行きました。
保健所を紹介されて、そのまま保健所へ移動。

精神科医が来る日があるので、ゆっくり話しを聞いてもらうといい
ということで、予約を入れてもらいました。
その話しを持って、再び実父母のところへ。
修羅場(いつものことだけど)だった。

義父母の問題と実父母の問題はかなり次元が違う。
義父母の問題は「まとも」。よくある話し。
もう義父母が「外泊」から帰ってきても、
大変だけどまともな大変さなのだから、
介護保険サービスでもなんでも使いながら、
なんとか自分たちで頑張ってください。って感じ。
そんなまともな人相手にしてる暇ないよ、って言いたい気持ちです。今。

と書いてる矢先、義父から電話。
「明日子供たち休みだべ?(義弟)も言ってたんだけど
なんとか祭りが公園であるからおちあわないか」
もう一気に脱力。気が狂いそうになる。

どうしてわたしをたまには解放してやろうと思ってくれないのか。
なにが楽しくてわたしがそこに行かなきゃならないというのか。
「わたしはすごく忙しい。むこうの家のことで」
「なにか問題あったの?」
「前からずっとあるよ」
と言ってしまった。

「子供たちは暇なんだべ?」
子供たちだけと言ったって、そう簡単にいかないだろうが。
あーもうウツ極限。

11月23日 金曜日 勤労感謝の日 なんで顔見せに来るのよ

近くの公園でなんとか祭りがあって、朝義父から再び誘いの電話がある。
子供たちが遊びに行っていて居なかったので、
「じゃあいいや」と流れる。
ほっとしていたら「ピンポーン」げげ。
駐車場が満車で、うちの前にとめて行くと義弟と3人で現れる。
ふんにゃーもう、声も顔も見ない日が欲しいにゃあ。
その頃わたしは寝巻き起き巻きで、
とあるパスワードの書いてある紙を夜探ししていた。(昼だけど)

11月24日 土曜日 ペースを合わせるのもずっとじゃたまらん

朝一番で義父から電話。
注射器の針の新しい箱が今までと違うんだけど、いいんだろか、と。
わたしはまだ寝ていてダンナが出てテキトーに応対していた。
遅い朝食をとっていたら、義父母がバスを乗り継いで家に来た。
それから針のことでひと騒動だった。

わたしは義父に病院に電話して聞けと言った。
わたしが聞いてやろうかと思ったけど、あえて義父にかけさせた。
でも肝心の注射器本体も診察券も持って来ていない。

ダンナが二度手間三度手間になることにイラつく。
「わたしだっていつもそうでほんとイヤだよ」と言ったら
「イヤならそうならないように見ればいいだろう」
と義父へだけでなくわたしへもイラつきの対象としたので、
わたしは憤慨。

「わたしがやれば早いさ。わたしが全部管理すれば楽さ。
でもそれをやったら全部わたしがやることになるよ。
そうしたら離れられなくなるんだよ。
だから年寄りのやることを忍耐強く見てなきゃならない。
二度手間三度手間を我慢して付き合わなきゃならない。
でも、そんなこと言ったって、人間なんだから、
わたしだって、イラつくよ」と言った。

ダンナは別になんもしないのにそんぐらいでイラつきやがって、
わたしが日頃どれだけ忍耐強く付き合ってやってると思ってんだ、
バカヤロウ。
とまでは言わなかったけど。

そしてそんなことをやってる間に義母が行方不明になる。
しばらくしたら戻ってきたけど。謎だ。

なんとなくダンナも(寝ていた)わたしも(衣替えをしていた)
義父母のことを無視気味にしていたら、勝手に帰っていった。

11月25日 日曜日 完全義父母ノーデーとなりました!

朝から公園の花壇の植え替えをしました。(わたし会長)
義父母はこっちがバタバタ忙しそうにしているのを見てか、
予定を伸ばして月曜に戻って来るとか言っていたけど、
なんかこれからのことがさっぱりわからない。
話しあいとか相談とかなんでしないの、誰も。

「そうやってなりゆきでやっていって、
一番被害があるのは嫁のわたしなんだよ」
とダンナに訴えたけど。

11月26日 月曜日 なんかなかなか片付かないなあ→ひとまず片付いた

やっと衣替えが終わって。笑
探しものをするついでに散らかした、
リビングの片付けを亀の歩みのように始める。
「ついでに散らかした」ってのは変な言いまわしだけど、
そうなのだ。
義父が一時的に片付けてくれたものを、一旦全部散らかさないと
いつまでもほんとの片付けにならないからね。

合間についつい昨日買ってきたゲームなど。
休憩の方がほとんどである。笑い

あ、義父母はうちが散らかってるから今日は来るのやめるって。
って長男に言ったら「そんなふうに言われたの?!」って言うから
「いや、わたしが頭の中でそう言わせただけ」
明日来ることになった。
今日は長男の中学校の説明会が変な時間にあったりしたし。

ってな日記を息抜きに21時頃書いてた。
あれからどのくらい経っただろう。
とりあえず片付け終了。おぉすばらしい!!(どこが)
今…おぉもう2時になっちまう。
明朝は旗持ち当番だぞをい。大急ぎで寝よう。
深夜にごそごそと片付けをする主婦その1でした。

11月27日 火曜日 数日ぶりの義父母デー。よく働いた自分に○

朝大学病院へ行って、リハビリ言語療法。
外科の受付をしてから3時間待ちものなので、車で一旦病院から離れる。
糖尿クリニックで針の確認をしてもらい(数日前に大騒ぎした一件)
イトーヨーカドーでウィンドショッピング&昼食。
病院へ戻り、外科。次に眼科で目薬を処方してもらう。
会計受付、会計、そして薬局。
帰り実家に寄って(飲み薬を忘れてきたため)、
うちへ義父母とともに帰宅。

すべてスムーズにいった(義母も狂わなかったし)と義父は喜んでいる。
なんて前向きな性格なのだろう。
でもこれはわたしが全てうまくいくように考えて動いたからである。
細かいことがいっぱいあったので、メモを見ながら。
義父さんもわたしのこの努力を少しは見習いなさい。
糖尿クリニックと眼科と実家の3箇所は
義父のチョンボのための2度手間ってやつだし。
ついでに言えば移動の運転手はわたしだし。
すべてわたしのおかげなのよ。ふふん。

なので帰宅したときわたしは疲れていた。
でも、数日間義父母が自分ちに「外泊」してくれて
少しはリフレッシュできていたため、結構優しく接することが出来たし、
帰宅してからもこまめに動くことが出来たことに驚きと納得。

夕飯は義父が今までの感謝の気持ちでご馳走を用意したいと。
でもさ。うちで食べるなら結局わたしがやるんでしょ?ほへ?
なんかきつねにつままれたような気持ちで夕飯準備。

ダンナにも「今日はじじがご馳走したいと思って」と
なんだか嬉しそうに話してたけど、なんか勘違いしてるぞこのじいさん。
あーなんておめでたい人なんでしょう。
幸せでよいわね~。少し見習いたいかも。

11月28日 水曜日 解放記念日!!

義父母が荷物を全部まとめて帰っていった。
義父母を送っていって、帰宅したとき
「あーしあわせ!!」
と両手をあげて叫んでしまった。
こんなに嬉しい幸せだと思った日が今までにあっただろうか。

夜ダンナと介護保険サービスについて話した。
ダンナの無理解さに、思わず失神してしまいたいくらいにがっかり。

「ほんっとに無理解なんだね」
「介護を細く長く続けていくために、介護する人のために使うんだよ」
「わたしの嫁という立場をもっと理解してよ」

いざ大変な最中はそんな話しも、相談する余裕もない。
そしてそのしわよせは全部わたしに来るということを
どうしてわからない。

そんな話しをしながらも、もどかしくてたまらなかった。
なにを寝ぼけてんだおまえは。
頭からバケツの水をかけて、よく考えて出直して来い!
ってな気持ちだった。

11月29日 木曜日 義父母が来て得たもの

なんか今までの無理な生活のせいで
普通の人間性を失っているかもしれない。
取り戻さなくては。
それにはリハビリにやっぱりゲームかな。(違う)

義父母が残していったもの。
それは「普通の生活」。

11月30日 金曜日 精神科

実母のことで保健所の相談室で精神科医のアドバイスを受けてきた。
本人は保健所はイヤだと来なかったので、わたし一人で。
なんだか向かいあう机も遠く、担当の女性と書記みたいな人もいて
面接試験みたいな感じだった。

でも話しを整理しながら親身に聞いてくれた。
精神科への受診を勧められた。
まずは薬の力を使った方がいいと。
抑うつ、極度な不安、パニック状態が見られるとか言ってた。

愚痴の極地には違いないだろう。
話しを聞いてあげること、原因(父)から離れる機会を作ること
(うちに時々泊まりに来させるなど)、も必要とのこと。
どれもわたしがうんざりしていることである。
一人で抱えないように、とも言われた。

夜、妹に電話をして報告。
妹はひと月前に第二子が誕生したばかり。
妹は一人目の子のときに、育児ノイローゼから目に炎症を起こし、
精神科にかかったことがある。

姉は実父母がそれまで(実家を借金にとられるまで)近くに住んでいて、
そのことだけでも、精神的負担を負っている。

まあなんてみんなうまいことわたしのうわてをいくのでしょう。

ついでに義母の狂ったときのことも聞いてみた。
痴呆で見てもらっている神経内科に相談しても専門違いだから
精神科にかかった方がいいと言われた。なんだよもう。

ついでにわたしも見てもらいたいくらいだ、こんちくしょう。

12月2日 日曜日 どうしてこんなに嫌いなの


義父母&義弟が来た。なんかどうも顔がひきつってしまう。
義父が「昨日はどこいってたのよ」
ダンナ「公園でキャッチボールとか」
義父「電話してくれりゃあいいのに」
じじばばが居たらゆっくり遊べるもんも遊べないってのーー!
たまには若いもんだけで心おきなく遊ばせてくださいよ。
まあ、このへんはテキトーに聞き流すでいくわけだけど。

それで週末の旅行の打ち合わせと年賀状を100枚置いていった。
んもうめんどくさいなあ。義父母用と義弟用をよろしくだとさ。

年賀状ソフト来年版とインクも置いてけば考えてやってもいいよ、
のノリでダンナがわたしの替わりに対応してたけど、
あっさり負けてたな。

んでも宛名はわたしが「あーそれは今年からやめるから」
とあっさり却下。
人んちの住所録まで管理してられっかっての。
しかも早く出したい人たちだし。
「納期は1月1日でよろしいでしょうか」とまで言えたら
楽しいんだけど。(をい)

いずれにしても嫌いな人のためにはなにもしてあげようと思えない、
ってのがポイント。

12月3日 月曜日 なにかが壊れた

どうでもいいことを一生懸命だらだらやったり、
なんか無気力に過ごしている。

義父母が居た期間ってのは、義母が入院して義父が来た日から
数えたら40日間だった。子供の夏休みの期間じゃん。

自分の子供でさえ「恐怖の夏休み開始!」「やっと学校始まった!」
ってのが主婦の中では常識のセリフだってのを思うと、
やはりこの40日べったり期間ってのは、長すぎたと思う。

義父の来た日を調べるのに過去日記を見たら、
「(義母入院)3日目。入院前から続いてる限界超え」
なんてタイトルがあった。ほんとに長かったんだなぁ。

それでわたしは義父母とのバランスを崩してしまったように思う。
昔は嫌いじゃなかった。自分の親よりずっと好きだった。………。

この際だからなにかが壊れました、ということで。
今まで気を張ってたのが解けて、一挙に疲れが出て、
ヒキコモッテマス。ってことにしよう。
ってえか、ほんとのことだし。

12月4日 火曜日 中途半端な意地悪嫁さん

義父さんの病院の日。
でも近い病院なのでわたしが行かなくてもいいかもな、とか思ってた。
昨日は一度電話あったけど、居留守しちゃった。

したら今日は朝から雨。やっぱ車出しかな、と思って
でも11時の予約だからそんな親切に急いで電話しなくてもいいや、
と9時半に電話したら、留守電だった。(なんだよ居ねえじゃん)
「んーもう病院行ったのかな~?」と録音して、
その後もう1回かけてみて諦めた。
ま、とりあえずラッキ~!でいっか、と思うことにした。

午後義父さんから自宅と携帯にかかってきたけど居留守した。
それで夕方こちらから電話した。
病院へは郵便局経由で9時半に家を出て行ったらしい。
ちょうど入れ違い。
わたしに遠慮してかもだけど、なんだかなぁ。

だって車なら5分ってとこなのに、予約時間の1時間半前に電話して
(ほんとは朝いちで電話してあげればよかったのだけど)
もう居ないとは思わないよ…。なんか失礼しちゃうなぁ、
と思ってしまう。

でも「これからバスでいくから今日はいいよ」って
わざわざわたしへ電話するのもイヤかもだし、しょうがないかな…。
その辺やっぱり難しいよなあ。
ちょっと考えさせられてしまう。年寄り相手になにやってんだろ、とか。

「大変だろうからそれくらいしてあげるよ」「それぐらい自分でしろ」
のバランスがこの義父さんとは全然ずれまくりだから疲れる。

まあ、こんないちいち深く考えないで居られたらいいんだけど。
ぢゃ、つきましては、今後「雨の**病院」の日は出動しなくてよし、
とインプットしてよござんすね?え? って感じ。

この夕方の電話で「(義母)の薬があと一個しかなくて明日もらいに
行かなくちゃいけない」という話しが紛れ込む。
なんであと一個まで気付かないのよぅ。

やっぱり遠慮気味に自分が取りに行こうかと言っている。
今日の明日なので「んー明日は午前中約束があるからなあ」と
そうしてもらうことにした。約束ってのは口からでまかせ。
「もうちっと早くわかれば調整出来るのにさぁ」と言っておいたけど。

今日の明日…今日夕方の明朝の話しってのがわたしには許容できず。
もちろん具合が悪くて、とかって内容ならば話しは違う。
ただ薬をもらいにいくだけ。
そして急になったのは管理してた人の責任という点。

こうやって整理して、自分は悪くない、と確認しないといられない
ってところが、わたしの苦しいところ。なんでこうなんだろう。
わたしをそういう想いにさせる人が悪いんだ!だから嫌い。

12月6日 木曜日 意思疎通のない家族

この日は義父母んちへ顔出してきました。
前日に義父さんから電話かかってきて「明日忙しい?」って。
「うん。忙しい」ガチャン
って出来るわけがない。実母にはよく使うんだけど。^^;

週末に義母の「怪奇快気祝い旅行」にみんなで行くの。(汗)
「当日急に熱出してもいい?」ってダンナに聞いちゃった。
それはあまりにわざとらしすぎだわね…。

なんか幹事は義弟で、義弟が旅行先の情報の入ってるフロッピーを
持ってきた、っていうのね。で、「うちじゃ見れねえんだよ」って。
そりゃパソコンなきゃ見れないだろうねえ。汗

それ取りに行ったんだけどさ。
そのまま捕獲されそうなところを必死に逃げ帰ってきた。

で、帰ってから、どうせ無気力だし(をい)
義父母&義弟の年賀状作って、見本を印刷して。PCオフして。
あ、そうだ。フロッピーを見ておきましょう。
と再びPCオンして見たっけ。
なんじゃこりゃーーー!!!
って別にそんなビックリするような画像が入ってた
とかじゃないですけど。

年賀状のサンプルが入ってたんですけど。誰か人の。
旅行の情報じゃないじゃん……。

あーもうこれだからなあ。もう意味不明すぎ。まったくぶー。

12月7日 金曜日 一時が万事困った家族

義母の糖尿クリニックの日。
この日は診察の後、栄養指導もあった。
診察のとき義父は「オレはここで待ってる」と。
「なに言ってんのよ。入りなさいよ」と連れて入る。

栄養指導のときも「オレはここで待ってるから」
わたし「アナタが一番聞かなきゃならない人でしょうが」
と半分怒って申し上げました。
ほんとは
いいかげんにしろてめえ。
と申し上げたかったのですが。


昨日の日記の義弟の謎なフロッピーは迷宮入りです。
意思疎通のない家族というのはそういうことです。
それでとっとと返しました。それっきり。

わたしの推測では、旅行の情報のフロッピーなんてものは
元々存在しなかったんじゃないだろうか。
あの年賀状のフロッピーはあれはあれで、義弟がたまたま
(もししたら使ってもいいし)と思って持ってきたのではないだろうか。

それにしてもそれが事後でもなんでも全然伝わってない
(実際ほんとのところ不明だけど)ってとこが、なんとも。

結果的に必要のないフロッピー1枚のために、
あらゆる危険をおかして(笑い)取りに行ったのだと思うと…
わたしって気の毒。爆

ここで大事なことは、いつも全てこんな感じであるということ。

義父母のことも、よくわからんから、
とっとと返して迷宮入りで、ハイ終わり。
で済ませてもよいですか。
それとこれとは違う?いいや違わない。
キミはいつもそうだ。キミたちはいつもそうだ。

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介護日記終了。
長文を読んでいただきありがとうございました。



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