「人生の一日」  かまたあきよし

2006/02/13(月)00:34

ピーター・ガブリエル(ゲイブリエル)が変えた音楽の世界とは 2

音楽(59)

1981年、アメリカに一風変わったケーブル専門テレビ局が開局した。なんと朝から晩まで音楽のプロモビデオやライブ映像ばかりを流しつづける音楽専門テレビ局、MUSICTELEVISION、すなわちMTVが産声を上げたのだ。 これはアメリカのレコード会社に好意的に受け取られ、新しい宣伝媒体として認知され、80年代に台頭してきたマイケル・ジャクソンやマドンナの登場もあり相乗効果で爆発的に急成長を遂げたのだが、このMTVの誕生のきっかけとなったのは意外にもアメリカのアーチストのプロモではなく、イギリス出身のバグルズやデュランデュランといったアーティストの映像であった。そしてその中でも最初に特に大きなインパクトを与えたのがほかでもない、ピーター・ガブリエル(ゲイブリエル=PG)のかの「モダン・ラブ」のプロモ・フィルムだったのである。 今改めてこの事実を記したサイトなど検索してみたのだが英文のものしかなかったのであえてここでは引用はできないが、興味のある方は「mtv|history|peter gabriel」で検索してみるとか、古本屋かなにかで全音楽譜出版社刊の「新・音楽解体入門 山下憲子著」を入手してご覧頂きたいと思う。 しかしそのPG自身がMTVで授賞するまでには長い道程があったのだから皮肉なものであった。 78年8月、意外に早くセカンドアルバムがリリースされた。「意外にも」というのはファーストアルバムのリリースから1年と6ヶ月しか経っていないことと、ジェネシスのアルバム「そして3人が残った」の発表から約2ヶ月も経っていないこと、スティーブ・ハケットの「プリーズ・ドント・タッチ」と同時リリースだったということを含め異例づくめであったのだ。 ちなみに当時のカリスマ・レーベルのオリジナルの品番を確かめたところジェネシスがCDS-4001、 ハケットがCDS-4012、 PGがCDS-4013であった。つまりレコード会社としてはファーストアルバムの成功に気を良くしてあえてこの時期にまとめて出したほうが相乗効果が望めるとPG側に完成を急がせたという経緯があったようだ。 ロバート・フリップのプロデュースによるこのアルバムはセールスの結果から言えば失敗作といえた。ファーストアルバムのようなポップ・チューンがなかったことが失敗だったようだ。そして、PGの抜けたジェネシスはさらにS・ハケットが抜けオリジナルメンバーが3人になったものの音楽的な方向性をがらりと変更し(何故かPG的な音楽的な要素を巧みに取り入れて、というか歌い方がそっくりだし)この「そして3人が残った」は久しぶりのジェネシスにとっての大ヒットアルバムとなったのである。(続く)

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