「人生の一日」  かまたあきよし

2006/11/11(土)10:03

「太田総理と秘書田中」 その2

テレビ番組(159)

テレビでくっちゃべっている文化人もどきの芸能人に語らせるとヤバいことになるのが「農業」についてである。見ていて冷や汗が出て来てしまった。 高木美保が出した法案は「全国の小中学生に、毎日一時間の農業の授業時間を」というもの。 そのことに対してはそんなに「反対」ではない。ただ実地は不可能であるとは思う。全国津々浦々すべての小中学校に農業指導員を派遣することなど絶対に無理だからだ。 ただ、農業を学ぶことはとてもよいことだとは思っている。それこそ学校単位でそれが出来るところならばやった方がいいのではないだろうか。 残る可能性は定期的に農作業地に子供達が出向いて行くことだろう。これならばまだ可能性は残っているのではないか。あとはネットを使ってウェブカメラで自分等が手を入れた耕地とか作物の出来具合をライブで常に見れるようにしておく。これでかなりのことはカバーできるはずだ。 このあいだ宮城ローカルのテレビ番組で、宮城の角田市というところに東京目黒区の小学生たちが田植えの体験学習に来ていたのを見た。目黒区目黒本町の月光原小学校の児童達である。十数年前までそのあたりが勤務地だった自分は懐かしい気持ちでそれを見ていただけだったが。子供達にそれをやらせて無駄ということはあるまい。そう感じたこということもある。 さて、問題なのは番組に登場して「農業を学ぶ、学習する」ということの意味を熱弁している賛成派の面々が口にした論旨にあった。 「農業を学ぶ」ということをイコール「自然に触れる」という意味合いで素晴らしいことだとこの「法案」に賛成していた連中ばかりだからだ。 「アホか」二十数年前のいまいましい記憶が蘇ってきた。 農業のどこが「自然」なのかだ。こういうことを言っている文化人もどきのタレントの口なんざアロンアルファかなんかで塞いじゃったほうがいい。 ちなみに、目黒本町(※付記)というのは目黒区の中でも比較的「自然」の残っているところでもある。近くに林業試験場地区(通称:林試公園)があったり碑文谷方面に行くとまだ昔ながらの森林が残っていたりする。田んぼや畦道で見かける程度の「自然」ならばわざわざ宮城にきてまで体験させるほどのことはない。田んぼあたりで感じられる「自然」なんて所詮は枝葉というかオマケにすぎない。 いまさらながらだが、農業とは自然の営みではなく人間の手による「文化」だ。 初夏のころ青々とした緑色に染まる田んぼを見て「自然っていいなぁ」とか感じる奴のほうが多いのか? ゴルフ場に行って「自然」を感じたりするのだろうか? あれらを見て感じるのは一種の「人工美」だろう。 そんなことすらわからなくなるほど日本人の農業に対する畏敬の念は衰えてきてしまっているのだろうか。そっちのほうが大問題じゃなかろうかと。 そもそも英語で「文化」を意味するカルチャー(CULTURE)の語源はラテン語のcolere(耕す)から派生している。英語やドイツ語のcultureやKulturは、「文化」という意味以外に「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、「教化する」といった意味合いもある。(ウィキペディア「文化」の項を参照) つまり農業こそが文化だと言ってもいいくらいなのにだ。 さらに、農業のことを「リセットできない作業」と言い切っていた人間がいたのにもがっかりさせられた。現実の問題として、農業こそ一年ごとにリセットを繰り返さなければならない大作業だからだ。 こういう大事なことがすっぽり抜け落ちているのも、ただ単に農業を外側から眺めて育ってしまった人だからなのかもしれない。 でなければ本質的な農業に対する思い込みというか単純な誤解を今まで誰も指摘しなかった「ツケ」が回ってきただけなのかもしれない。 せめてこの番組のパネラーとして田中義剛が参加していればよかったのに、ふとそう思った。 以前、田中義剛が同じような提案に「なんでわざわざ都会から来た子供たちに自分らの田んぼや畑を無茶無茶にされなければなんないの?」というようなことを言っていたからだ。 こういう農家の側からの本音の発言がなければ所詮この「法案」もただの絵空事でしかなくなる。 いやもし彼がいたらそれこそこの番組は紛糾して収拾のつかない結果になったかもしれない。 というかむしろそっちの方を見たかったな。 付記:目黒本町から少し歩いて行くと東急目黒線の武蔵小山駅になる。武蔵小山商店街「パルム」があるところだ。悪夢にうなされそうな名前の商店街ではあるが。実はそのパルム商店街こそ全国各地にひろがったアーケード商店街のお手本でもある。仙台の名掛町から始まる中央通り商店街も実はここをモデルにしている。いまでも、仙台の中央通を歩いていると武蔵小山を歩いているんだかどっちなんだかよく判らなくことがある。それくらい極似しているのだ。

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