「人生の一日」  かまたあきよし

2010/03/25(木)07:28

20世紀少年  -最終章- ぼくらの旗

映画・ビデオ・DVD(67)

映画館で見たときにはあまりの○○ぶりに途中で出ようかと思ったくらい。 なにがよくないかというと、前二作で広げすぎた風呂敷の畳み方に四苦八苦しているその様がまま画面に出てしまっていることだろう。 とにかくこの映画、最初から最後までやたらと登場人物による説明書きのためのセリフばかりなのだ。こういう尻拭いのために用意されたような三部作の三本目の映画なものだからどうしても無駄に疲れる。 さて、この第三作目のDVDも発売になり、自分のところにもこの第三作目のセル版DVDが回ってきた。 ついでといっちゃなんだが、前二作のDVDとテレビ版(を録画したファイル)があるうちにと、その全部をはじめから見直してみたのだ。(笑) でその感想だけれども、やっぱりなんか詐欺にあった気分なんだなぁ。 少なくとも、総計10時間以上をかけて見たその労というものに報いるようなものではなかったな。 さて、それが「映画」である以上、製作に金と手間隙がかかるのはしかたのないことだし、途中で大きな変更が余儀なくされてしまうこともあるだろう。おそらくはこの「20世紀少年」三部作も、最初に製作者が思い描いていたプランとはかなり違ったものになってしまったのではないか。しかしそれを言い訳にされては困るのである。見るほうとしては。 特に自分がDVDで見直して「なんとかならんかったのか」と残念に思ったのは、編集というか全体の切りかたが間違っていたことだろう。 この映画、どう贔屓目に見ても三部作でうまくまとまるような代物ではない。最低でも5部作、あるいは6部作ぐらいでないと逆にまとまりが悪いというか、内容が薄っぺらに見えてしまうような気がしたのだが。 逆に言えば、無理に三部作に纏(まと)めようとするものだから、このように第三作が最初から最後まで説明セリフだけで埋め尽くされてしまい、見てて息苦しさばかり感じるような○作に成り下がってしまう…そういうことだと思うのだが。どうだろうか。 まあそれでも、出てくる俳優陣も豪華すぎるくらい豪華だし、中には「おおこれは!!」と思わず拍手を贈りたくなるキャスティングもあったことだし、(この第三作だけならば)DVDで見てそんなに損をしたという感じにはならないのではないか。(註) でも、それにしてもだ。もしかするとこれはある種の意図的なキャスティングというものなのかもしれないが、ユキジ役の常盤貴子とオッチョ役の豊川悦司のからみを見ていると、どうしても名作テレビドラマ「愛していると言ってくれ」のふたりを想起してしまうわけだし、やはり豊川悦司と双子の佐野史郎が激しくやりあっているシーンを見ると、どうしてもこれまた名作テレビドラマ「青い鳥」が頭の中に浮かんできてしまうのをとめられないのだ。 まあテレビ映画と横断するように長年活動したきたベテラン俳優女優ばかりを集めているのだから、どうしてもこのような懐かしさを感じさせる顔合わせというものは避けられないのだけど。 (註)そのひとり目は これは前にも書いたことだが、小泉響子を演じた木南晴夏であるし、もうひとりは高須役の小池栄子だった。 ☆☆☆☆☆ 2 自分がこの映画を避けて通れなかったのにはまったく別の理由がある。 まあどちらかというと非常に個人的なことであるし、このようにブログで書いてみても多くの人には「はぁ?」みたいな理解しがたいことには違いないだろうが。 自分はジュセリーノというブラジル人の自称予言者の嘘を暴くというようなことをやっていて、その世界ではちょっとした有名人だったころもあった人間である。「その世界」っていったいどんな世界なんだと突っ込まれそうだが(笑) 特に、2年前の夏から秋に掛けてのころは、毎日約30通以上もの見も知らぬ人たちから送られて来た深刻な内容のメール・コメントに対して返事を返す日々の連続だった。 彼らは、いってしまえばマスコミ出版によるジュセリーノ予言の取り扱いの失敗が生んだ被害者の方々である。 この「ジュセリーノ騒動」というものが日本に残した禍根というものは計り知れないものがある。 そしてもっと重要なことは「ジュセリーノ騒動」というものは、未だに終結というものをみていないということだろう。 ジュセリーノ騒動というものは終わったのではない。今なお人知れずに深く進行中なのである。 「予言」というものがどれだけ私たちの暮らしにとって有用なものなのか、それは自分にはよくわからない。 しかし、このインチキな予言というものがどれだけ有害かであるか、それについてならば、自分はいくらでも例を挙げて説明ができる。 さて、この日本にはかつて「予言」というものが引き起してしまった社会事件がある。言うまでもなく、ノストラダムスの予言とオウム真理教の関係である。 今また、このジュセリーノの予言というものを持ち上げているマスコミであるとかネットコンテンツの当事者達は、この「予言」とカルトの危険な結びつきというものに対して危惧というものは本当に持ってはいなのだろうか。 そのあたりのところは自分は非常に懐疑的であるし、気分ははっきり言って非常によくない。 さらにこういう事実も自分を滅入らせているということがある。 「友愛」というものを党のコンセプトとして掲げ、与党に躍り出た民主党という政党のことである。 よく知られたことでもあるが、この民主党、その内部は複雑怪奇というか、いったい誰のための政治をするのかさえも答えられないような代議士ばかりの集団でもある。 しかも驚いてはいけない。この民主党の国会議員の中には公然と「ジュセリーノの予言は事実である」とテレビで言い切ったり、本を薦めたりしていた者がいるのだ。 この民主党政府、北極の氷が解けるだとか、山火事が頻繁に起きるとか、旱魃が食糧危機をもたらすというような脅しとしかいいようがないテレビのCMを流しはじめた。 これなんか鳩山民主党内閣のやっていることは、よく考えれば(構造として見た場合は)ジュセリーノのやっていることと同じことなのだ。 インチキを使った脅しという点では、鳩山民主党とジュセリーノはどっこいどっこいの存在だろう。 こういう今の日本を取り巻く状況の中で、この「20世紀少年」という映画を見てしまうと、自分もなんか背中に冷たいものが走るというかイヤな気分になってしまうのだ。 とそういうことなのだが。 だからこそというか、もうジュセリーノのようなものだけをターゲットにしていてもしょうがないなと思い始めているところなのでもあるが。 予言者ジュセリーノの疑惑 資料提供者として自分の名前とブログのタイトルが出てます。

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