「曖昧な現実」
希望の光
どうして生まれてきたんだろう?
どうして生きているんだろう?
ここ何年もずっとその意味を考えてきた
主人と結婚して2、3年たったある日
ドライブ中にある神社の前を通った
「ぁ!わたしここの神社よく知ってる」
そこは結婚してもなかなか子どもが出来なかった両親が
願掛けのために通った神社
「お前は、ここの神さまに頼んで生まれてきた子なんやで」
初詣のたびに言い聞かされた
「俺もそうや・・・」と主人が驚いたように呟く
お義理母さんの実家がこの近くで
やはり結婚して子宝に恵まれなかったため
度々この神社に願掛けに通っていたそう
車を降りて二人揃って手を合わせた
うんん、二人じゃなくて
まだ赤ちゃんだった長男と・・・三人
何十年か前に、ここの神さまが
「願い通り子どもを授けよう、だから縁のある二人は
大人になったら結婚してまた次の代へと命を繋げていきなさい」
そんな思いの下、二人は出会って結ばれた
偶然じゃなく必然・・・そんなものを感じた
心の病気になった頃から
わたしはブログで自分の気持ちを綴ってきた
6年・・・とても長い歳月
今、時々それを読み返すことがある
悲しみや苦しみ痛みマイナスな言葉もあるけれど
それ以外の言葉もたくさん綴ってきた
花が好き
カントリーが好き
部屋の模様替えが好き
ぬいぐるみのらびちゃんが好き
粘土でミニチュアのケーキを作るのが好き
大好きなものを熱く語るこれもモノに対する「愛」
主人への感謝の気持ちや体をいたわる言葉
子どもの進路の悩みや将来を気遣う言葉
寝たきりになった義父を少しでも楽にさせたいと心配する言葉
実母が亡くなる前後の悲鳴のような言葉
たった一人になってしまった義母を大切にしようと決心した言葉
そう・・・どれもみんな「愛」
わたしはずっと「愛」を綴ってきたんだ
そんなことに気がついた
そうしてこれからも生きている限り
わたしは「愛」を綴り続けると思う
どうして生まれてきたの?
それは・・・「命」を繋ぐため
どうして生きているの?
それは・・・「愛」を綴るため
「曖昧な現実」をまとめてあります
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