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2006年11月03日
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テーマ:ニュース(100209)
カテゴリ:未分類
 イジメというのは動物の本能のなせる業だと思います。
 それを理性や社会性を学ぶことによって「問題を解決する」ということで乗り越えていくのだと思います。

 よくいうイジメ加害者の弁明は被害者に責任を転嫁した言葉ばかりです。
 虐められやすい奴が自己防衛出来ないし気に食わないから危害を加えるというのです。常識とか地域に従った振る舞いが出来ない分子を排除する正当な機能ともいいます。常識なんて年代、場所、地域で変わる相対的なものによりどころを置くとは馬鹿げた事ですが、中には絶対的なものだと信じている人もいるからでしょう。

 これは問題を別の面で言い換えたに過ぎません。
 イジメを行う人は目の前の問題を解決できないので、別のアプローチで感情の赴くまま憂さを晴らしているだけです。

 もちろんその前提となる全能感は無言の誰かまたは何かによって補完されているのでしょう。誰からも否定されないからとか、なあなあで済まされることが背中を押しているのかもしれません。テレビで万引きなど犯罪行為を自慢げにいうタレントの影響もあるかもしれません。

 しかしそんな理由で、イジメを行っても問題は何一つ解決出来る訳がありません。

 敢えて社会悪を自負する連中は、そのまま誤ったアプローチをエスカレートさせるのです。一度そういう道徳の則を越えた連中の手口は益々悪辣になるのでしょう。ベネディクト「菊と刀」にある日本人の甘えの構造と指摘しましたが、案外虐めることで被害者はきっと自分の思い通りの振る舞いをしてくれると思っているのでしょうか? 相手に要求を伝えることはそんなに抑圧があることなのでしょうか?

 自分の規範が数人で共有できたからと、相手を思い通りに支配したいという。
 「ムラ意識」の弊害なのかもしれません。





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最終更新日  2006年11月04日 08時16分35秒
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