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毒になる姑
「毒になる親」の著者スーザン・フォワードさんの著書。 Japanese Traditionalでは、基本、義家族関係において、外から来た嫁や婿には決められた椅子しか用意されていません。嫁や婿はただ黙って役割を負担することを「美徳」とします。故に当然の軋轢、つまり外から見た違和感、怒り、そして疑問は矮小化されるかないし否定されます。ないしは問題のすり替えによって義家族へ従うことを当然となされてしまいます。関係を義理親と嫁以外に当てはめれば十分にありえないことであったとしても、義理でも「家族」と名が付けば許容・正当化されてしまうという現実があります。義実家もそのあたりは意識・無意識に組織化されて諸悪の根源こそをコアを信じて守りたがるんですな。 ただ こと身内については明らかに見ることが出来ない、バイアスがかかるというのはいたし方のないことなんでしょう。職場や学校でも立場や権力を利用してヒエラルキーを作り出す人や、それに唯々諾々と従う人も普通に見かけますから。 ならば 要はどれだけそういう人たちとうまく境界線を作っていけるのかが問題なんでしょう。 だって通常は被害にあった当人の感情には関係なく「長いものに巻かれろ」式のアドバイスが周りからしきりに繰り返されるだけなんですから。こういう状況では本人を直接受け止める人なんてまずいません。たといそれがどんなに親しい人が間に立とうとも、よもや壁になってくれるなどと当然に「役割」を期待できない。それが個別性とか等身大の目の前の何かよりも、組織や世間の体を重んじる連中であれば特に。自分の属する「観」から派生した「役割」の流れをより大事にする人には特に。それが余計に心に追い討ちを掛ける。 ここまで考えて 「毒になる姑」はより社会的に幅の広い、あらゆる人間関係に応用が利く対処法になるのではないかと到りました。義家族とは純粋な家族というよりは社会的な家族なり結びつきの概念ですからね。 で、購入したわけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月19日 02時06分19秒
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