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**    pure eyes     **    眼瞼下垂

** pure eyes ** 眼瞼下垂

【就職】

入社式は199○年4月1日。
しかし、研修期間として大学の卒業式の次の日から会社はスタートでした。
卒業旅行もなにもありませ~~~ん!!

私の仕事は、内勤・外勤・出張ありの接客ありの~~
結構いろいろ日々変化のある仕事で多忙でした。
=人と接する機会が多い

社内でも、男の人に『眠そうだよね~~』って多々言われました。
その頃はコンタクトでしたので、眼はあからさまに見ています。

眼の状況に応じて時々メガネをかけるのですが、
『お~いいね~眠そうに見えないよ』なんていわれたりしました。

女性はあまり眼の話しに触れないですね。

外見はビシッとスーツで決めてかっこよくしていましたが、
内心はどうも、対人関係が苦手、
お客様、お得意様との会話、接客等も・・・・

すご~く気にしたある日、
上野にある、美容外科に思い切って行きました。
名称は忘れてしまいましたが、広告掲載の先生のお顔を拝見しましたので
有名な所だったと思います。
受け付けでは、若い姉ちゃんが対応。

診察では、『眼瞼下垂ですね~』と針金のような器具?で二重を作ってみたり、
所見で約10~20分の診察。
「あなたは左の目も眼瞼下垂があります。眼瞼下垂の手術の際は両目を二重にしましょう」と簡単に言われました。
兎眼が以前から気になっていたので、その事も聞きました。
「今より寝ている時の眼の開きは大きくなりますが、軟膏をつければ大丈夫」と

そして受け付けのねーちゃんから、見積書のメモを1枚手渡される。
【見積り額;60数万円】
手術日は、仕事人には大きな休みでないと無理なので、決めないで帰宅。

学生だし、そんなお金は無い・・・
親に相談。あまり真剣に考えていない親には反対され、
次回の眼科受診の際に、その日の担当医に相談。
年配の女医さんでしたが、
『美容外科は絶対やめなさい!もし、
 どうしてもという場合は形成外科を紹介します』との事。

小心者の私は、反対を受けてまで踏み切る自信が無かったのと、
兎眼が当時以上に大きくなる事をとても嫌い、
その時はそそくさと諦めました。

そして、悩みが解消されるわけではなく現在に至ります。

当時は、今のようにインターネット環境はありません。
【眼瞼下垂】を「家庭の医学」などで調べても大して詳しく載っていません。
今は恵まれていますね。検索すれば直ぐに出てきます。

患者は医者を選び、情報を調べ、全てを理解する事が可能。

当時の私は、この眼瞼下垂が不治の病とは理解できていなかったし、
メリット、デメリットも理解できていませんでした。
今、この状況において、
2回目の手術するか否かを考える事ができる環境に感謝しております。

そして、数年前私にPCを与えてくれたダンナに感謝です。
「壊してもいいから、習うんじゃなくて、自分でいじって覚えな~~」と。

そんな感じで、我が家の子供もネット環境を1人1人与えられています。
PCを自分で作ってしまうダンナでした。





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