2006/04/02(日)17:11
斉藤別当実盛☆
今回は、すこしマニアックな人かもしれません。
わざと名前を分かりにくく書いていってみます♪
埼玉県嵐山町に源義賢(よしかた)が住んでいました。
義賢(よしかた)には「駒王丸(こまおうまる)」という子供がいます。
駒王丸がまだ2歳の時に家が襲撃されます。
駒王丸の父である義賢(よしかた)は死んでしまいます。
その駒王丸をかくまって長野のほうに逃がしたのが今日の主人公斉藤実盛です。
その斉藤実盛ですが、源氏方の武将でした。
保元の乱では源義朝(よしとも)について参戦し勝利!!
続く平治の乱で敗れてしまいます。
その結果、平氏方につくことになります。
そして現在の埼玉県妻沼町の管理を任されます。
すると源平の合戦が始まります。
平氏方の斉藤は倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いに参戦します。
倶利伽羅峠の戦いをご存知ですか?
木曾義仲が歴史の表舞台に出てくる最初の戦いです。
木曾義仲が火牛の戦いで平氏をかき乱し、大勝利するのがこの倶利伽羅峠の戦いです(ホントにあったかどうかは別)。
火牛の計略とか凄いですよね?
ハンニバルもそうでしたっけ?
世界史好きな方コメントヨロです。
倶利伽羅峠の戦いでは平氏は敗走するのですが。
斉藤実盛はその直後の戦いで戦死をします。
篠原の戦いです。
稲の切り株につまずいてやられたらしいですが。
そのために稲を食い荒らす害虫を実盛虫なんていうんですからヒドイ。
斉藤実盛の打たれた首を木曾義仲は見てビックリしました。
「この人、俺知ってる!!」
俺を助けてくれた斉藤実盛殿ではないか!!!
それに気がついた木曾義仲は。
泣き崩れたそうです。
そうです。
幼い頃に自分を助けてくれたのが斉藤実盛だったのです。
あの駒王丸こそがのちの木曾義仲なのです。
悲劇ですね。
その斉藤実盛は信仰心の厚い人でした。
地元の妻沼に神社を作りました。
それが妻沼の聖天様です。
自分がよく初詣に行くところです。
近所ですから。
ただ初詣に行くだけでも楽しいですが。
歴史を知った上で行くとより楽しみが増えますよね。
これは妻沼聖天山の斉藤別当実盛の像です。