成田氏長炸裂☆
龍淵寺にある成田氏の墓所です。横にズラリとならんでいますが、左から二番目にあるのが成田氏長の墓所になります。成田氏長は石田三成の忍城攻めの時の城主として知られています。秀吉が小田原の北条を攻めてきた時に北条側に属していた氏長は小田原城に行きました。北条に属していたのですが、秀吉には絶対に勝てないと分かっていました。なのでコッソリ秀吉に内通していたと言います。しかし忍城を留守番していた長親が攻めてきた石田に降伏しなかったために戦いになってしまったんでした。石田の軍勢が忍城に攻めてきたら即!降伏するはずだったんですが長親が宣戦布告し、しかもなぜか善戦しているという話を聞いて氏長は信じられなかったといいます。結局最後まで石田軍の攻めを忍城は耐え抜くんですからね。氏長は本当にびっくりです。結局小田原が陥落したあと、氏長は会津の名君「蒲生氏郷」の元へ行きました。その後は氏長の娘である甲斐姫が秀吉に気に入られた事がきっかけで栃木に土地をもらったと言います。烏山藩という所ですが、今の那須ですね。最後は秀吉の朝鮮出兵の影響で熊本の方まで行ったようです。もし朝鮮まで行って、ウルサンで籠城をしていたなら成田一族はホントに城に閉じこもるのが好きな一族だなぁ~って事になるんですけどね。そんな成田氏長さんですが龍淵寺に眠っております。それでは画像でーす。見にくいですが左から二番目が氏長です。