漱石とアート73/福田半香
大正5年8月24日、漱石は後期の門人である芥川龍之介と久米正雄に手紙を送りました。彼らの活動と手紙に刺激を受けた漱石は、彼らの俳句や絵の才能を引き出そうとしているようです。 この手紙をもう一本君等に上げます。君らの手紙があまりに溌溂としているので、無精の僕も〔も〕う一度君等に向って何かいいたくなったのです。いわば君らの若々しい青春の気が、老人の僕を若返らせたのです。 今日は木曜です。しかし午後(今三時半)には誰も来ません。例の滝田樗陰君は木曜日を安息日と自称して必ず金太郎に似た顔を僕の書斎にあらわすのですが、その先生も今日は欠席するといってわざわざ断って来ました。そこで相変らず蝉の声の中で他から頼まれた原稿を読んだり手紙を書いたりしています。昨日作った詩に手も入れて見ました。「癲狂院の中より」という色々な狂人を書き分けたものだという原稿を読ませられました。中々思い付きを書く人があるものです。 芥川君の俳句は月並じゃありません。もっとも久米君のような立体俳句を作る人から見たら何うか知りませんが、我々十八世紀派はあれで結構だと思います。その代り画は久米君の方がうまいですね。久米君の絵のうまいには驚ろいた。あの三枚のうちの一枚(夕陽の景?)は大変うまい。成程あれなら三宅恒方さんの絵をくさす筈です。くさしても構わないから、僕にいつか書いてくれませんか。(本当にいうのです)。同時に君がたは東洋の絵(ことに支那の画)に興味を有っていないようだが、どうも不思議ですね。そちらの方面へも少し色眼を使って御覧になったら如何ですか、そこにはまたそこで満更でないのもちょいちょいありますよ、僕が保証して上げます。 僕はこの間福田半香(華山の弟子)という人の三幅対を如何わしい古道具屋で見て大変旨いと思って、爺さんに価を訊いたら五百円だと答えたので、大いに立腹しました。これは絵に五百円の価がないというのではありません。爺なるものが僕に手の出せないような価をいって、忠実に半香を鑑賞し得る僕を吹き飛ばしたからであります。その時僕は仕方なしに高いなあといって、店を出てしまいましたが、心のうちでそんならおれにも覚悟があるといいました。その覚悟というのを一寸披露します。笑っちゃいけません。おれにおれの好きな画を買はせないなら、やむを得ない。おれ自身でその好き〔な〕画と同程度のものをかいてそれを掛けて置く。とこういうのです。それが実現された日にはあの達磨などは眼裏の一翳です。到底芥川君のラルブルなどに追い付かれる訳のものではないですから、御用心なさい。 君方はよく本を読むから感心です。しかもそれを軽蔑し得るために読むんだから偉い。(ひやかすのじゃありません、賞めてるんです)。僕思うに日露戦争で軍人が露西亜に勝った以上、文人も何時まで恐露病に罹ってうんうん蒼い顔をしているべき次第のものじゃない。僕はこの気焔をもう余程前から持ち廻っているが、君らを悩ませるのは今回をもって嚆矢とするんだから、一遍だけは黙って聞いておおきなさい。 本を読んで面白いのがあったら教えて下さい。そうして後で僕に借してくれたまへ。僕は近頃めちゃめちゃで昔し読んだ本さえ忘れてゐる。この間芥川君がダヌンチオのフレームオフライフの話をして傑作だといった時、僕はそんな本は知らないと申し上げたが、その後何時も坐っている机の後ろにある本箱を一寸振り返って見たら、そこにその本がちゃんとあるので驚ろいちまいました。たしかに読んだに相違ないのだが何が書いてあるかもうすっかり忘れてしまった。出して見たら、あるいは鉛筆で評が書いてあるかも知れないが面倒だからそのままにしています。 きのう雑誌を見たらショウの書いた新らしいドラマのことが出ていました。これはとても倫敦で興行出来ない性質のものだそうです。グレゴリー夫人の勢力ですら、ダブリンの劇場で跳ね付けたという猛烈のもので、無論私の刊行物で数奇者の手に渡っているだけなのです。兵隊がV、C、を貰って色々なうそを並べ立てて景気よく応募兵を煽動してあるく所などが諷してあるのです。ショウという男は一寸いたずらものですな。 一寸筆を休めてこれから何を書こうかと考えてみたが、のべつに書けばいくらでも書けそうですが、書いた所で自慢にもならないから、ここいらで切り上げます。まだ何かいい残したことがあるようだけれども。 ああそうだ。そうだ。芥川君の作物のことだ。大変神経を悩ませているように久米君も自分も書いて来たが、それは受け合います。君の作物はちゃんと手腕がきまっているのです。決してある程度以下には書かうとしても書けないからです。久米君の方は好いものを書く代りに時としては、どっかり落ちないとも限らないように思えますが、君の方はそんな訳のあり得ない作風ですから大丈夫です。この予言が適中するかしないかはもう一週間すると分ります。適中したら僕に礼をおいいなさい。外れたら僕があやまります。 牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老猾なものでも、只今牛と馬とつがって孕めることある相の子くらいな程度のものです。 あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵らえてそれを押しちゃいけません。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。 これから湯に入ります。 八月二十四日 夏目金之助 芥川龍之介様 久米正雄様 君方が避暑中もう手紙を上げないかも知れません。君方も返事のことは気にしないでも構いません。(大正5年8月24日 芥川龍之介・久米正雄宛書簡) 福田半香は、江戸時代後期の日本の南画家です。渡辺崋山の高弟で、崋山十哲の一人でした。漱石は立ち寄った古道具屋で、半香の画の値段を聞いたところ500円だといわれ、自分の絵を上達させようと決心します。 これも、若き門人たちの作品に触れて、エネルギーを得た結果なのでした。