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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2017.06.09
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カテゴリ:正岡子規


 
 明治34(1901)年9月2日の『仰臥漫録』に、子規のふるさと松山の習俗である「どじょう汁」のことが出てきます。
 
 松山木屋町法界寺の鰌施餓鬼とは路端に鰌汁商う者出るなりと。母なども幼き時祖父どのにつれられ弁当持て往てその川端いて食われたりと。もっとも旧暦26日頃の闇の夜のことなりという。
   餓鬼も食へ闇の夜中の鰌汁
 午後八時腹の筋痛みてたまらず鎮痛剤を呑む。薬未だ利かぬ内筋ややゆるむ。母も妹も我枕元にて裁縫などす。三人にて松山の話、ことに長町の店家の沿革話いと面白かりき。
 

 
 「どじょう汁」は、松山の郷土料理です。鍋にサラダ油を熱し、どじょうを入れて酒をふりかけ、静かになるのを待ちます。そして、どじょうの身をほぐしたら、出汁を入れ、短冊切りのナス、笹掻のごぼう、半月切りの玉ねぎ、輪切りの里芋、手で潰した豆腐を入れます。赤みそ2:白みそ1の割合で味をつけ、ちぎった松山揚げ(乾燥させた厚揚げ)と生姜、ネギを入れたら出来上がりです。
 松山最後の夏祭り「どじょう施餓鬼」に法界寺の檀家がつくったといわれます。にどじょうが多くとれ、お遍路さんに喜ばれていました。当時の住職が地蔵盆の8月25日にどじょうを川に流し、霊を供養したのが始まりだったが、今は、逆にどじょう施餓鬼の日に食べるようになりました。
 毎年8月25日の夜には、松山市木屋町で松山の夏祭りの最後を飾る「どじょう施餓鬼」が行われます。戦前、木屋町に大林寺の末寺である「法界寺」という寺があり、8月25日にこの寺でどじょうを御幸町と木屋町の間を流れる「大川」という小川に放って供養していました。太平洋戦争でこの寺が焼失し、境内に焼け残ったお地蔵さんは御幸橋の東側に移動され、小さなお堂に祀られました。このお地蔵さんのご利益を求めて、施餓鬼の日には、大林寺の住臓が地蔵堂に来て、参拝者の無病息災を祈ります。露店も並び、松山の夏の夜の風物詩となっています。
 
 このどじょう汁が愛媛県のお隣・香川県に至ると、名物のうどんが加えられ「どじょううどん」になります。平賀源内の生誕地で88番札所・大窪寺のあるさぬき市では、今もどじょうが食べられています。溜池の掃除の際、捕まえたどじょうを野菜やうどんとともに、味噌仕立ての鍋で食べるのです。農村の行事である「打ち込みうどん」のどじょうバージョンで「どじょう汁」とも呼ばれます。
 その料理法は、どじょうをきれいな水に入れて泥を抜き、お酒と塩で洗って臭みを取ります。そして酒で軽く煮たものを使うのは、崩れないようにという配慮なのだそうです。
 ゴボウやサトイモ、ニンジン、油揚げなどを入れたら味噌で煮て、塩を抑えたうどん麺を加えます。塩が多いと、だんご汁のようなふやけた麺になってしまうので、塩分を抑えてコシのある麺にするといいます。
 

 
 明治28(1895)年、日清戦争取材の帰途、船の中で喀血して生死をさまよった子規でしたが、神戸病院で治療を受け、ようやく病気は快方に向かいます。
 その病院で滋養食として出されたのが「どじょう」でした。6月10日、11日、15日、16日、17日、18日、19日には「鰌鍋」、20日、21日、22日、24日、26日には「鍋」とあり、状態の良くなった子規は27日に料理屋から刺身を取り寄せます。30日には「夏やせて大めし喰ふ男哉」と内藤鳴雪宛てに句を添えています。神戸病院から一時郷里へ帰った母・八重宛ての7月3日付け書簡に、「食物は何でもくえるように相成候」と言い、「どじょう鍋は飽きが来てこの頃はどせう汁に致候」と伝えています。
 子規のいう「どじょう鍋」と「どじょう汁」の違いは、どのようなものなのでしょうか?
   骨のなき泥鰌を誰の藥喰(明治25)
   浮草に泥鰌も浮きぬけふの月(明治26)
   溝川の泥鰌泡ふく月夜哉(明治28)
   由緒ありて泥鰌施餓鬼と申けり(明治31)







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最終更新日  2017.06.09 06:16:16
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