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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2017.10.12
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カテゴリ:正岡子規

 
   雀ともばけぬ御代なり大蛤(明治25)
   蛤になるか雀の聲かなし(明治26)
   舌切られて雀蛤とならん思ひ(明治30)
   成佛の蛤となる雀かな(明治30)
   
 雀は、人間の住んでいる所にもよく訪れるため、親しみやすい鳥です。秋には稲の籾米を食べる害鳥ですが、春先は苗の害虫を食べる益鳥として扱われます。稲が実る時期になると、「スズメ追い」「鳥追い」などのスズメを追い払うための風習が各地にあり、かかしもスズメを追い払うためにつくられたものです。「スズメ孝行」「スズメのそこつ」「スズメ酒屋」「腰折れスズメ」など、スズメは稲にまつわる話が多く、稲の精霊でもあるかのように親しみを持たれてきました。
 上記の句にあるように「スズメ」と「ハマグリ」は「雀海中に入って蛤となる」という諺があるように、秋口になって海辺に集まる雀は、海に入って蛤になるのだと考えられていた中国の故事から、物事の大きな変化を例えた語句なのだそうです。「雀蛤となる」は、秋の季語になっています。
  

 
 伏見稲荷の表参道には、雀すずめのやきとり店が何軒かあります。穀物を食い荒らす雀を捕まえて、五穀豊穣を叶える稲荷への供物として「やきとり」にし、参拝客に売りました。かつては東京入谷の鬼子母神などでも、雀の「やきとり」が売られていたといいます。
 しかし、野鳥保護法の成立で雀を獲ることがむずかしくなり、中国などからの輸入に頼っていましたが、中国で野鳥類の輸出が禁止されるようになりました。そのため、現在では国内産のみとなり、雀の入手が困難で入荷待ちと断られることもあります。
 そのため、鶉の「やきとり」の張り紙が目立ちます。伏見稲荷は深草の里にあり、「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」という藤原俊成の短歌にちなみますが、残念なことに伏見で獲れた鶉ではないそうです。
 
 明治24(1891)年9月13日、夏目漱石は大宮の「万松楼」に泊まっていた正岡子規を訪ねて、鶉(ウズラ)の焼いたものを生まれて初めて食べています。漱石の『正岡子規』という文には「ある日突然手紙をよこし、大宮の公園の中の万松庵にいるからすぐ来いという。行った。ところがなかなか綺麗なうちで、大将奥座敷に陣取って威張っている。そうしてここで鶉か何かの焼いたのなどを食わせた。僕はその形勢を見て、正岡は金がある男と思っていた。処が実際はそうでは無かった。身代を皆食いつぶしていたのだ」とあります。
※詳しくは​こちら
 
   新田の曙はやき鶉かな(明治26)
   ちよろちよろと粟の穂がくれ行く鶉(明治28)
   粟くふて妻を思ふか飼鶉(明治31)
    向きあふて鳴くや鶉の籠二ツ(明治32)
   恋しらぬ猫や鶉を取らんとす(明治33)
 
 鶉は、たくさん卵を生み、子沢山で知られることから、子孫繁栄につながるとされ、夫婦円満の意味もあります。





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最終更新日  2017.11.09 00:48:28
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