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カテゴリ:正岡子規
昨日、1月12日の愛媛新聞に、愛媛出版文化賞奨励賞のインタビュー記事が載りました。正式な発表は、1月5日だったのですが、わかりにくかったのか、興味をそそられなかったのか、5日には誰からもお祝いのメールがなかったのに、12日には電話やメールが結構届きました。 以下が『大食らい子規と明治』についてのインタビュー記事です。 食欲と旅にスポット 俳聖の力と源泉をたどる 松山出身の俳人正岡子規。病気に苦しみながらも34歳という短い人生で俳句や短歌の革新に取り組み、明治の近代文学に大きな足跡を残した。その力の源泉は何だったのか。書は「食欲」と「旅」にスポットを当て、子規の魅力をたっぷりと味わえる寸おいしい」一冊だ。 今治市在住のフリーライター土井中照さんは、地域の歴史や民俗から郷土料理まで幅広い分野の本を出版してきた。子規の著作は「そこが知りたい子規の生涯」「のぼさんとマツヤマ」に続き3 冊目。一昨年春に病気を患い手術し、生誕150年に当たる昨年の出版を目指して執筆に着手した。自身の病気を「食欲や命について改めて考えさせられ、子規を感じるためにはいい体験だった」とひょうひょと語る。 本書では、初の上京で食べた菓子パンや、桜餅とロマンス、愚陀仏庵で漱石の払いで食べけ続けたウナギ、旅先で出合った料理など、さまざまなエピソードを盛り込みながら紹介。「正岡家の家計簿」ではエンゲル係を約62%と算出するなど、数くの文献資料から集めたデータやこぼれ話、イラストを満載して、分かりやすく解説する土井中さんならではの手法が今回も存分に発揮されている。 「命燃え尽きるまで頑張り、俳聖と称される子規に学ぶところは多いが、ごく普通の生活者の側面もあった」と土井中さん。だから高邁(こうまい)な人生や作品だけでなく、身近なエピソードを織り交ぜながら、紙芝居のように表現。読者の好奇心を刺激することを大事にしているだという。 「食べることは人間の基本であり、身近な幸せ。それは自分の本を書く姿勢とも似ている。知識・情報を咀嚼(そしゃく)してもらい、豊かで幸せな心になってもらえたら」と話し、後への意気込みをみせる。 この記事ではカットされていますが、ブリア=サヴァランが著した『美味礼讃』に登場する「教授のアフォリスム」のうちの「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」という言葉にインスパイアされて、子規の食生活から子規という人を描こうと考えたとも答えています。 子規は、学生時代の自慢できる大食い体験に始まり、結核にかかってからの体を維持するための栄養食に関心を持ち、体が動かなくなり「病牀六尺」の生活を送るようになると滋養に関心を向けました。これが子規のいわゆる「贅沢主義」なのですが、ブランドや美味しさにはあまりこだわることなく、肉や魚を中心とする食事で、命を繋いだのでした。 教授のアフォリスム 1.生命がなければ宇宙もない.そして生きとし生けるものはみな養いをとる。 2.禽獣はくらい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る。 3.国民の盛衰はその食べ方いかんによる。 4.どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう。 5.造物主は人間に生きるがために食べることを強いるかわり、それを勧めるのに食欲、それに報いるのに快楽を与える。 6.グルマンディーズはわれわれの判断から生まれるので、判断があればこそわれわれは、特に味のよいものを、そういう性質を持たないものの中から選びとるのである。 7.食卓の快楽はどんな年齢、身分、生国の者にも毎日ある。他のいろいろな快楽に伴うことも出来るし、それらすべてがなくなっても最後まで残ってわれわれを慰めてくれる。 8.食卓こそは人がその初めから決して退屈しない唯一の場所である。 9.新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。 10.胸につかえるほど食べたり酔っぱらうほど飲んだりするのは、食べ方もの味方も心得ぬやからのすることである。 11.食べ物の順序は、最も実のあるものから最も軽いものへ。 12.飲み物の順序は、最も弱いものから最も強く香りの高いものへ。 13.酒をとりかえてはいけないというのは異端である。舌はじきに飽きる.三杯目からあとは最良の酒もそれほどに感じなくなる。 14.チーズのないデザートは片目の美女である。 15.料理人にはなれても、焼肉師のほうは生まれつきである。 16.料理人に必要欠くべからざる特質は時間の正確である。これはお客さまのほうも同じく持たねばならぬ特質である。 17.来ないお客を長いこと待つのは、すでにそろっているお客さま方に対し非礼である。 18.せっかくお客をしながら食事の用意に自ら少しも気を配らないのは、お客をする資格のない人である。 19.主婦は常にコーヒーの風味に責任を持たねばならず、主人は吟味にぬかりがあってはならない。 20.だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。(サヴァラン 美味礼讃)
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最終更新日
2018.01.13 03:42:25
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