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カテゴリ:夏目漱石
夏目漱石というと、胃弱で神経質というイメージがあり、学生の時にスポーツをやっていたなんて紳士られないと思う人も多いのではないでしょうか。 ところが、漱石は器械体操とボートを楽しんでいました。東京大学が、隅田川で最初の学内ボート大会を開いたのは明治17年10月17日で、漱石が予備門に入学したのはこの年の9月ですから、もび門の学生の間にボートに関心が高まっていたと考えられます。 『こゝろ』に登場する「K」のモデルとされる龍口了信は『予備門の頃』の中で、次のように書いています。 その頃は、勿論今のようなスポーツはやらなかったが、それでも予備門の運動場には機械体操の鉄棒があり、ボール投げもやっていた。それからボートがあった。私は予備門へ入ってからは、富士見町から猿楽町の末富屋という下宿に移り、中村是公君、菊池謙二郎君、得能文君(得能君は遂に予備門には入らなかった)等と一緒にいたが、ボートは柳橋の下につないであるので、神田からてくてく歩いて柳橋まで行って、ボートに乗った。そして和服に袴をはいたまま隅田川を漕ぎまわるのである。大学に入ってからはボートの倶楽部も出来て、中村君や白石元治郎君は法科の名高いクルーであった。これに対して夏目君や私どもは文科でも倶楽部をつくったが、物にならなかった。芳賀君も下手な姿勢でボートを漕いだことを今に記憶している。(龍口了信 予備門の頃) ただ、龍口了信の文章を見ると、スポーツはあまり得意ではなかったように書かれています。 柴田宵曲の『漱石覚え書』には、漱石の親友・中村是公がボートで勝ったため、学校から記念の金が出て、本を買ったという話を紹介しています。 漱石の学生時代に親友の中村是公がボートレース選手になって勝った。学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買い、それに某教授がこれこれの記念に贈るという文句を書添えるとなった時、是公が俺は書物なんか要らぬ、何でも貴様の好きなものを買ってやると云って、アーノルドの論文とハムレットとを買ってくれた。漱石は生涯その本を持って居ったらしい。(柴田宵曲 漱石覚え書 時代的相違) 漱石自身も『満韓ところどころ』の中で次のように記しています。 入学の当時こそ芳賀矢一(はがやいち)の隣に坐っていたが、試験のあるたんびに下落して、しまいには土俵際からあまり遠くない所でやっと踏み応えていた。それでも、みんな得意であった。級の上にいるものを見て、なんだ点取がと云って威張っていたくらいである。そうして、ややもすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って端艇(ボート)を漕いだ。試験が済むとその晩から机を重ねて縁側の隅へ積み上げて、誰も勉強のできないような工夫をして、比較的広くなった座敷へ集って腕押をやった。岡野という男はどこからか、玩具の大砲を買って来て、それをポンポン座敷の壁へ向って発射した。壁には穴がたくさん開いた。試験の成績が出ると、一人では恐いからみんなを駆り催して揃って見に行った。するとことごとく六十代で際どく引っ掛っている。橋本は威勢の好い男だから、ある時詩を作って連中一同に示した。韻も平仄もない長い詩であったが、その中に、何ぞ憂えん席序下算の便と云う句が出て来たので、誰にも分らなくなった。だんだん聞いて見ると席序下算の便とは、席順を上から勘定しないで、下から計算する方が早分りだと云う意味であった。まるで御籤(おみくじ)みたような文句である。我々はみんなこの御籤にあたってひやひやしていた。 そのうち下算にも上算にもまるで勘定に這入らないものが、ぽつぽつできて来た。一人消え、二人消えるうちに橋本がいた。是公がいた。こう云う自分もいた。大連で是公に逢って、この落第の話が出た時、是公は、やあ、あの時貴様も落第したのかな。そいつは頼母しいやと大いに嬉しがるから、落第だって、落第の質が違わあ。おれのは名誉の負傷だと答えておいた。(満韓ところどころ 14) 漱石の文章を見ると、牛肉を食べるための口実がボートのようですが、ただ、予備門での落第は漱石にだいぶこたえたようで、心を入れ直して学問に志す道を拓きました。 人間というものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しも分らなかったものも瞭然(はっきり)と分る様になる。前には出来なかった数学なども非常に出来る様になって、一日(あるひ)親睦会の席上で、誰は何科へ行くだろう、誰は何科へ行くだろうと投票をした時に、僕は理科へ行く者として投票された位であった。元来、僕は訥弁で自分の思っていることがいえない性だから、英語などを訳しても分っていながらそれをいうことが出来ない。けれども考えて見ると分っていることがいえないという訳はないのだから、何でも思い切っていうに限ると決心して、その後は拙くても構わずどしどしいう様にすると、今迄は教場などでいえなかったこともずんずんいうことが出来る。こんな風に落第を機としていろんな改革をして勉強したのであるが、僕の一身にとってこの落第は非常に薬になった様に思われる。若しその時落第せず、唯誤魔化して許り通って来たら、今頃は何んな者になっていたか知れないと思う。(落第)
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最終更新日
2018.01.14 04:52:24
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