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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.01.27
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カテゴリ:子規と漱石

 
 子規と漱石の交際の間には、二人の仲が険悪になったこともありました。
 明治24(1891)年11月のことです。
 子規の手紙は現存していないのですが、読売新聞に掲載されていた『明治豪傑譚』が単行本になった際、子規はこの第一巻に、自分の考えを記した「気節論」を加えて漱石の元に送ったのでした。
 この時期の漱石は、江藤淳が『漱石とその時代』で漱石の恋愛感情があったとする、兄・和三郎の嫁・登世をこの年の7月28日に亡くし、心の傷が癒えていない頃でした。
 漱石は8月3日の子規宛の手紙で「不幸と申し候は、余の儀にあらず。小生嫂(あによめ)の死亡に御座候。実は去る四月中より懐妊の気味にて悪阻と申す病気にかかり、とかく打ち勝れず漸次重症に陥り、子は闇から闇へ、母は浮世の夢二十五年を見残して冥土へまかり越し申候。天寿は天命死生は定業とは申しながら洵に洵に口惜しき事致候」と書き、「朝貌や咲た許りの命哉」「人生を廿五年に縮めけり」「君逝きて浮世に花はなかりけり」「何事ぞ手向けし花に狂ふ蝶」の句を送っています。
 

 
 心が塞いでいた漱石は、この論に対して怒り、長い手紙をしたためました。もともと子規は、藩士の家柄を誇っていて、こうした豪傑譚を盲目的に好んでいたのです。
 漱石は、元士族で名主てはありますが、町人として育ったので階級的な差別に小田わりませんでした。「君の議論は、工商の子たるが故に気節なしとして、四民の階級を以て人間の尊卑を分たんかの如くに聞ゆ。君が故かかる貴族的の言葉を吐くや。君若しかくいわば、吾これに抗して工商の肩を持たんと欲す」と反論します。そして「朋友がかかる小供だましの小冊子を以て季節の手本にせよとて、わざわざ恵投せられたるは、つやつやその意を得ず」「君何を以て、この書を余に推挙するや。余殆ど君の世を愚弄するを怪しむなり」と送りつけました。
 子規は、漱石の剣幕に驚き、急いで漱石に詫び状(現存せず)を送りました。漱石の手紙には、子規の「偏えに前書及び本書の無礼なるを謝す」という詫びを記し、「ただ君の方で足下呼わりで難しく手掛けられた故つい乗気になり、色々の雑言申し上げ恐縮の至りに不堪。決して決してお気にかけられざるよう願上候」と、怒りの矛を収めました。
 この後、二人の友情は長く続きました。この諍いが二人にとってプラスに働いたようです。
 
十一月十日(火)
牛込区喜久井町一番地 夏目金之助より
本郷区真砂町常盤会寄宿舎 正岡常規へ
 
 僕が二銭郵券四枚張の長談議を聞き流しにする大兄にあらずと存じおり候処、案の如く二枚張の御返礼にあずかり、金高よりいえば半口たらぬ心地すれど、芳墨の進化は百枚の黄白にも優り嬉しく披見仕候。仰の如く小生十七、八以後かかるまじめ腐ったる長々しき囈語を書き連ねて紙筆に災ひせし事なく、議論文などは君に差上候。手紙にも滅多に無之、ただ君の方で足下呼わりでむずかしく出掛られた故、つい乗気不堪決して決して御気にかけられざるよう願上候。
 頑固の如くには候えども、片言隻行にては如何にしても気節は見分けがたくと存候。良雄(忠臣蔵・大石良雄のこと)喜剣の足を抵る。良雄の主義、人の辱(はずかしめ)を受けざるにあれば、足を舐るは気節を損したるなり。良雄の主義、復讐にあれば、足を舐るは気節を全うしたるなり。喜剣良雄の墓前に死す。喜剣の主義、長生にあらば墓前に死するは節を損したるなり。喜剣の主義、任侠にあれば墓前に死するは節を全うしたるなり。去れば一言一行をその人の主義に照り合せざれば、分らぬ事と存候(その人の主義の知れておる時は例外)。
 気節は(己れの見識を貫き通す)事と申し上候つもり。これ(見識)は智に属し(貫く)(即ち行う)は意に属す。行わずして気節の士とは小生も思い申さず、唯行へと命令する者が情にもあらず、意にもあらず、智なりと申す主意に御座候処、筆が立ぬ故、そこまでまわり兼疎漏の段、御免被下たく候。
 僕、決して君を小児視せず、小児視せば笑って黙々たるべし。八銭の散財をした処が君を大人視したる証拠なり。恨まれては僕も君を恨みます。
 君は人の毀誉を顧みず。毀誉を顧みぬ君に喃々(なんなん)するは君を褒貶するの意にあらず。唯、僕の説が道徳上嘉(よみ)すべき説なりや、道徳上悪しき説なるやを判じ給えとの意に御座候。唯、卑説の論理に傾きたるため善悪の字を以て正否の字に見違えらる。これまた僕の誤り(説に善悪あり、また真偽あり。多妻論は耶蘇教徒より見れば論理的なると否とを問わず悪説なり。進化主義も神造物者主義より見れば悪説なり。社会主義は伊天原連より見れば悪説なり)。
「その悪を極口(くちをきわめて)罵詈せしとて、その人と交らぬというにはあらず」御説明にて恐れ入候。叩頭謝罪。
 僕、前年も厭世主義、今年もまだ厭世主義なり。かつて思うよう世に立つには世を容るるの量あるか、世に容れられるの才なかるべからず。御存の如く僕は世を容るるの量なく世に容れらるるの才にも乏しけれど、どうかこうか食う位の才はあるなり。どうかこうか食うの才を頼んで、この浮世にあるは説明すべからざる一道の愛気隠々として或人と我とを結び付るがためなり。この或人の数に定限なく、またこの愛気に定限なく、双方共に増加するの見込あり。この増加につれて漸々慈憐主義に傾かんとす。しかし大体より差引勘定を立つればやはり厭世主義なり、唯極端ならざるのみ。これを撞着と評されては仕方なく候。
 最後の一段は少々激し過ぎたる由、貴意の如くかも知れず。(僕の愚を憐んで可なり)などと出られては真に断憐不禁、再び叩頭謝罪。
 道徳は感情なりとは御同意に候。絶大の見識もその根本を煎じ詰れは感情に外ならず、形而下の記号にて証明しがたければなり。去れど、この理想の標準に照し合せて見る過程(プロセス)が智の作用と存候。
 君の道徳論について別に異議を唱うる能はず、唯、貴説のごとく悪を嫉むの一点にて君と僕の間に少しく程度の異なる所あるのみ。どう考えても君の悪を嫉む事は余り酷過ぎると存候。
 微意の講釈は他日拝聴仕るべく候。
 君の言を借りて、
(偏えに前書及び本書の無礼なるを謝す。不宣)
 またまた行脚の由あいかわらず御清興賀し奉候。
 秋ちらほら野菊にのこる枯野かなの一句千金の価あり。
 睾丸の句は好まず、笠の句もさのみ面白からず。
 十一月十日夜  平凸凹乱筆
 子規 臥禅傍





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最終更新日  2018.01.28 05:46:24
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