土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

2018/03/27(火)01:41

漱石ゆかりの店27/亀屋(松山)

夏目漱石(947)

   漱石はそばが好きだと信じられています。『吾輩は猫である』では、迷亭に蕎麦の魅力を語らせ、うどんは「馬子(まご)が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」という台詞もありますから、漱石は蕎麦好きだと思っても仕方がありません。また、ロンドンから妻の京子に送った手紙にも「明治35(1902)年4月17日に妻の鏡子に送った手紙の中に「日本に帰りての第一の楽しみは、蕎麦を食い、日本米を食い、日本服をきて、日のあたる縁側に寝ころんで庭でも見る。これが願に候」なんて、ありますから、蕎麦好きだと思っても仕方のないところです。  しかし、漱石の次男・夏目伸六は『父・漱石とその周辺』で「父を蕎麦好きと考えるのは、少々早計に過ぎるので、恐らく、父が、心から蕎麦を食いたいなどと思ったことは、生涯を通じて、そう幾度もあったとは思えない」とあり、漱石の家族は蕎麦をすするところを、あまり見てないようです。 『坊っちゃん』で、「その晩は久し振に蕎麦を食ったので、旨かったから天麩羅を四杯平げた」ところ、学生たちは「黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑しいかと聞いた。すると生徒の一人が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但し笑うべからず。と黒板にかいてある」と、坊っちゃんをからかいます。    このエピソードは、同志社出身の英語教師・弘中又一のことを多少の脚色を入れて書き換えたものです。弘中は、天麩羅蕎麦じゃなく、しっぽくをたくさん食べたことが、この小説の元になっています。松山中学で歌われていた数え歌にその証拠が残っています。    一つ 弘中シッポクさん(英語)   二つ ふくれた豚の腹(西川氏、英語)   三つ みにくい太田さん(漢文)   四つ 横地のゴートひげ(物理化学)   五つ 色男中村さん(歴史)   六つ 無理いう伊藤さん(体操)   七つ 夏目の鬼瓦(英語)   八つ やかしの本吾さん(安藤氏、博物)   九つ こっとり一寸坊(中堀氏、地理)   十で とりこむ寒川さん(会計)  弘中は、数え歌ではシッポクさんと呼ばれています。しっぽく4杯のエピソードが、学生たちに強烈だったためでしょう。漱石が鬼瓦というのは、あばたのためでした。 弘中又一の『山嵐先生の追憶』には「僕が小唐人町と湊町一丁目の角の饂飩屋でしっぽくを四杯食ったら、シッポク四杯也と黒板に書かれた。小説では漱石が自分の好きな天麩羅蕎麦に改めている。自分のした事を笑われて怒るのが卑怯じゃろうがなもしと警句を吐いたのは御婆と綽名のある松本博邑と云うヤンチャ坊主でその後日露戦争の際三百万円の成金となった。漱石は道後遊郭の門の右で湯晒し団子二皿食って五銭払った。やはり黒板に書かれて、遊郭の団子ウマイウマイと御丁寧にボンチ絵まで添えられたが、団子がよほど旨かったから五銭では安いと思ったか、小説で七銭に値上げしてる。反対に城戸屋では茶代十円(今の百円)気張って江戸ッ子の気前を見せ付けたまではよかったが、考えて見ると惜しかったのか小説では五円に負けさせた」と書いています。  しっぽくとは「しっぽくうどん」のことで、大根・にんじん・さといもなどの季節野菜と鶏肉・油揚げなどの具をだし汁とともに煮込んだうどんです。では、このしっぽくを食べた店は、松山の大街道1丁目にあった「亀屋」といううどん屋でした。愛媛新聞社から出ている『忘れかけの街』という本では、「亀屋」を次のように紹介しています。 戦前の松山を語る人は、必ずといっていいほど、このうどん屋をまずあげる。それほど親しまれた店であった。松山ばかりでなく、周辺の村々から松山に出かけて来ると、一度はそのノレンをくぐった。とくに椿祭りの時は大変で店内はごったがえした。だれが言いはじめたものか「椿さんにお参りして、いにし(帰り)に亀屋の『しっぽく』食わなんだら御利益がない」とまでいわれた。…中略… 三階の建物はもともと二階だったものを上につぎたした。名物だった煙突は昭和十年ごろ新居浜から職人が来て築いた。大きなものだったから煙の吸い込みが強く、火を使うとゴーッと音が響いた。戦災のあとも煙突だけはつつ立っていたが、都市計画で道路拡張のさい取りにわされた。ひろぴろとした焼跡にポツンとこの煙突が立っていたころは復員して来た人たちがこれを目当てにして帰って来た。 うどんの値段ーー大正ごろ、うどん三銭、しっぽく十銭、芸者の花代一時間一円。昭和十年ごろ、うどん五銭、しっぽく十五銭、肉かけ十五銭、五目十銭、しっぽくの「だいまあし」(台増し。うどん玉が二つ入っていた)二十銭、酒一合十二銭。(忘れかけの街)  漱石の『二百十日』には、「うどん」が登場しますが、野暮ったい食べ物としての印象が強く、漱石はうどんが大嫌いだったようです。 「うふん。時に昼は何を食うかな。やっぱり饂飩にして置くか」と圭さんが、あすの昼飯の相談をする。「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉箸を食うようで腹が突張ってたまらない」「では蕎麦か」「蕎麦も御免だ。僕は麺類じゃ、とても凌げない男だから」「じゃ何を食うつもりだい」「何でも御馳走が食いたい」「阿蘇の山の中に御馳走があるはずがないよ。だからこの際、ともかくも饂飩で間に合せて置いて……」「この際は少し変だぜ。この際た、どんな際なんだい」「剛健な趣味を養成するための旅行だから……」「そんな旅行なのかい。ちっとも知らなかったぜ。剛健はいいが饂飩は平に不賛成だ。こう見えても僕は身分が好いんだからね」「だから柔弱でいけない。僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せた事がある」「痩せたろう」と碌さんが気の毒な事を聞く。「そんなに痩せもしなかったがただ虱が湧いたには困った。――君、虱が湧いた事があるかい」(二百十日 2) 「おいこれから曲がっていよいよ登るんだろう」と圭けいさんが振り返る。「ここを曲がるかね」「何でも突き当りに寺の石段が見えるから、門を這入はいらずに左へ廻れと教えたぜ」「饂飩屋の爺さんがか」と碌さんはしきりに胸を撫で廻す。「そうさ」「あの爺さんが、何を云うか分ったもんじゃない」「なぜ」「なぜって、世の中に商売もあろうに、饂飩屋になるなんて、第一それからが不了簡だ」「饂飩屋だって正業だ。金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間より遥かに尊いさ」「尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨でも後の祭だから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう」(二百十日 4) 「どうも、急に元気がなくなったね」「全く饂飩の御蔭だよ」「ハハハハ。その代り宿へ着くと僕が話しの御馳走をするよ」(二百十日 4)

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