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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.06.30
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 正岡子規は、幼い頃に弱虫でし、怖い話が苦手でした。18歳の頃の「妖恠談」では子供に怖い話をしてはいけないと書き、21歳の頃の「八犬伝第二」では荒唐無稽な話に対する疑問点をあげ、22歳の頃の「見聞以外」には、人間の想像力には限りがあると書いています。
 子規のいとこに藤野古白がいます。古白は、子規が日清戦争の取材のために広島で出発を待ち受けていた際、古白自殺の報を受け取ります。古白は、東京専門学校の卒業にあたって書き上げた戯曲「人柱築島由来」が、世間から無視されてしまったことに落胆していました。もともと神経衰弱気味だった古白は、そのために「現世に生存のインテレストを喪」ってしまったのでした。
 明治34年10月13日の『仰臥漫録』には、鬼気迫る文が書かれています。一人になった子規は、硯箱にある小刀と千枚通しで自殺を考えました。自殺できそうな剃刀が次の間にあることは分かっていましたが、そこまで行くことはできません。「死は恐ろしくはないのであるが、苦しみが恐ろしいのだ」と考えていると、八重が帰ってきました。
子規は、病床で死を誘いかけてくる死霊を感じたのでした。
※古白の幽霊は​こちら
※古白については​こちら
 

 
 翌年の『病牀六尺』8月16日には幽霊についての文が書かれています。ただ、内容は怪奇譚を語るよりも教育についての論評なのですが、「子供の時幽霊を恐ろしいものであるように教えると、年とってもなお幽霊を恐ろしいと思う感じがやまぬ。子供の時毛虫を恐ろしいものであるように教えると、年とって後もなお毛虫を恐ろしいもののように思う。余が幼き時婆々様がいたく蟇(ひき)を可愛がられて、毎晩夕飯がすんで座敷の縁側へ煙草盆を据えて煙草を吹かしながら涼んでおられると手水鉢の下に茂っておる一ツ葉の水に濡れている下からのそのそと蟇が這ひ出して来る。それがだんだん近づいて来て、其処に落してやった煙草の吹殻を食うてまたあちらの躑躅(つつじ)の後ろの方へ隠れてしまう。それを婆々様が甚だ喜ばれるのを始終傍におって見ていたために、今でも蟇に対すると床しい感じが起るので、世の中には蟇を嫌う人が多いのをかえって怪しんでいる。読書すること、労働すること、昼寐すること、酒を飲む事こと、何でも子供の時に親しく見聞きしたことは自ら習慣となるようである。家庭教育の大事なる所以である。(八月十六日)」とあります。
 
 また、子規は『俳人蕪村』の中で、蕪村の句には「積極的美」「客観的美」「人事的美」「理想的美」「複雑的美」「繊細的美」を感じると論評し、蕪村の句の「用語」「句法」「句調」「文法」「材料」などで具体的な句を列挙しています。その中の「材料」では、妖怪について触れています。
 
 蕪村は狐狸怪を為すことを信じたるか、縦令(たとい)信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿『新花摘』は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたる者少からず。
 
   公達に狐ばけたり宵の春
   飯盗む狐追ふ声や麦の秋
   狐火やいづこ河内の麦畠
   麦秋や狐ののかぬ小百姓
   秋の暮仏に化る狸かな
   戸を叩く狸と秋を惜みけり
   石を打狐守る夜の砧かな
   蘭タ狐のくれし奇楠を炷ん
   小狐の何にむせけん小萩原
   小狐の隠れ顔なる野菊かな
   狐火の燃えつくばかり枯尾花
   草枯れて狐の飛脚通りけり
   水仙に狐遊ぶや宵月夜
 怪異を詠みたるもの、
   化さうな傘かす寺の時雨かな
    西の京にばけもの栖て久しくあれ果たる家ありけり今は其さたなくて
   春雨や人住みて煙壁を洩る
    狐狸にはあらで幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたるもの
   獺(おそ)の住む水も田に引く早苗かな
   獺を打し翁も誘ふ田植かな
   河童の恋する宿や夏の月
   蝮(くちばみ)の鼾も合歓の葉陰かな
   麦秋や鼬啼くなる長がもと
   黄昏や萩に鼬の高台寺
   むささびの小鳥喰み居る枯野かな
 この外犬鼠などの句多し。そは怪異というにはあらねどかくの如き動物を好んで材料に用いたるもその特色の一なり。(俳人蕪村)
 
 「妖怪」ということばは、明治時代の研究者・井上円了が命名した、人々が不思議に思っている現象のことを示す学術用語です。現在ではすっかりおなじみになり、日常でも使われるようになりました。
 柳田国男は『妖怪談義』のなかで、「出現する場所」「相手」「出現する時刻」によって、妖怪と幽霊の違いを記しています。しかし、この定義はのちの研究者にとって議論の対象となりました。諏訪春雄は『日本の幽霊』のなかで、「もともと人間であったものが死んだのち人の属性をそなえて出現するものを幽霊、人以外のもの、または人が、人以外の形をとって現われるものを妖怪」と定義しています。柳田は妖怪を「零落せんとする前代神の姿」とする興味深い指摘をしています。かつて神であったものが次第に信仰されなくなったものが妖怪で、そのため自分の力を信じないものを罰そうとし、信じるものには祝福と宝をもたらすというのです。





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最終更新日  2018.06.30 00:10:10
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