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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.10.17
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カテゴリ:夏目漱石

  
『草枕』に登場する那古井の温泉が、熊本の小天温泉であることはよく知られています。漱石は、五高の教師時代の明治30年の年末から年始にかけて、同僚の山川信次郎とともに小天温泉を訪れました。漱石らが宿泊したのは自由民権運動の闘士だった前田案山子の別荘で、プライベートな知りあいを招く温泉宿のような形を取っていました。そこを切り盛りしていたのが、『草枕』のヒロイン・志保田那美のモデルであった前田卓子でした。
 
 
 卓子は、『明暗』にもある通り、民権運動家の植田耕太郎と結婚しましたが、1年後に離婚し、その後にやはり民権運動家の永塩亥太郎と事実婚していたのですが、別れて漱石の訪れる1年ほど前に小天村に帰っていたのです。案山子の温泉付き別荘に部屋をつぎたして旅館とし、宿の差配は卓子が行いました。
 案山子が死去すると、卓子は明治38(1905)年に上京し、孫文や黄興の発行する「中国同盟会」の機関紙『民報』の民報社に住み込みで働き、ここに集まってくる革命家や中国人留学生の世話をし、密航の手助けをすることもありました。また、卓子の妹・槌は、孫文らを支援した宮崎滔天と結婚していました。こうした卓らの支援は、明治44年(1911年)に、孫文らの起こした辛亥革命として結実するのですが、その結果は卓らの望んだものではなかったようです。
 後年、森田草平が卓をインタビューしていますが、その中で「その自分はモデルなぞということの少ない頃ですから、一時はあまり気持ちよくなかったのでございます」と語り、男湯に入って裸身を見られたことは事実であると認めています。
 
 那古井の宿に赴く前に立ち寄るのが峠の茶屋です。これにもモデルがあり、島為男の『夏目さんの人及思想』という本の中に、その茶店の婆さんの顔が載っていました。能の高砂に比せられた顔です。漱石は「余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった」と書いています。その顔をどう感じますか。
 
 
「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれていた鶏が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚つけてある。
 返事がないから、無断でずっと這入って、床几の上へ腰を卸した。鶏は羽摶きをして臼から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子がしめてなければ奥まで馳けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこというと、雌が細い声でけけっこっこという。まるで余を狐か狗のように考えているらしい。床几の上には一升枡ほどな煙草盆が閑静に控えて、中にはとぐろを捲いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長に燻っている。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、煤けた障子がさらりと開く。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡ぬれなさった。今火を焚いて乾かして上げましょ」
「そこをもう少し燃しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声で鶏を追い下げる。ここここと馳け出した夫婦は、焦茶色の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞を垂たれた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間まにか刳り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦こげている底に、一筆がきの梅の花が三輪無雑作に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ねじと微塵棒を持ってくる。糞はどこぞに着いておらぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
 婆さんは袖無の上から、襷をかけて、竈の前へうずくまる。余は懐から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。(草枕 2)





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最終更新日  2018.10.17 00:10:08
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