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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2018.11.14
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カテゴリ:夏目漱石

 
 馬場孤蝶の『明治文壇の人々』の中に、漱石のエピソードがいくつか載っていたので、ご紹介します。
 まずは、漱石が錠前屋に間違われたという話です。登場するプロフェッサー・ウード(ウッド)は、フルネームをオーガスタス・ウッドといい、ディクソン教授の後任として明治25年に日本に来ました。ウッドは、漱石と教科書の打ち合わせをしたいということで、泊まっていた帝国ホテルで落ち合うこととなりました。その時、漱石は紐で締めるシャツにフランネルの金ボタンの服を着ていました。ウッドの部屋に行くと、挨拶もなくカバンを渡されました。その中に本が入っていると思った漱石でしたが、シャツしか入っていません。漱石は、ウッドに訳を聞くと、「鍵が壊れている」というのです。漱石がウッドになぜこんなことをしなくてはならないのかと聞くと、ウッドは「お前は錠前直しだろ」と漱石のことを勘違いしていたのでした。漱石は、「ノー」と言い、教科書の件で来たと説明すると、ウッドは間違いに気づき、なんども謝りました。
 漱石は、のちに当時の服装は錠前直しと勘違いされても仕方のない服装だったと語っています。
 
 漱石先生が帝国大学の学生でおられた時分には英文科の先生の組の学生というのは先生一人きりであった。所ヘプロフェッサア・ウードが英文科の教師として渡来せられた。ウード氏が始めて大学へ出席された日、漱石先生に教科書彼此れは相談の上極めるから旅館の帝国ホテルヘ来て呉れというのであった。で、漱石先生は外国人を訪問するのだからというので当時の日本人の考でできるだけハイカラに仕立てて帝国ホテルヘ出掛けた。もっとも当時ハイカラは今日の蛮からで、漱石先生その日のおん出で立ちというものはその時分流行った縮のーー節は夏であるーー折襟の前は紐で締めるようになってい襯衣(シャツ)の上に直接にフランネルの金鈕(ボタン)附の制服を着しておられたのだ。所でホテルではボーイに案内されて行くとウード氏の寝室へ連れて行かれた。奇異な所へ案内するものだとは思ったものの、そういう習慣もあるものかと思って室へ入ると、ウード氏は『フン』とかいって一向に挨拶もせずに室にある革鞄に指をさした。漱石先生には一向何だか合点が行かなかったが多分は革鞄の中には書籍が入っているから開けて出せ、そうした上でいろいろ相談しようという意味であらうと推察したので、直ぐ立寄って跪がんで革鞄の蓋を開けた。所が中には襯衣だの衣服の古いのなどが一杯入っているきりで書籍らしいものは影さえない。何うしたこととも解らぬので、蓋を両手で押し上げたま人でウード氏の顔を凝乎と見あげていると、やがて氏は傍に来て蓋に手を掛けて元の通り蓋を為ようとするので漱石先生は直ぐに元の通りに蓋を下した。と、ウード氏はまた蓋に手を掛け開けようとするので漱石先生も一緒に蓋を持ちあげた。漱石先生には何のことやら一向に解らぬ。そういう同じことを二度三度繰り返した後で漱石先生は堪らえ兼ねて、これは一体何ういう訳なのかと尋ねた。ウード氏は『錠前が毀われておる』という。漱石先生はますます解せず、『錠前は成る程損じているが、その錠前の損じていることと我輩との間に何等の関係があるのか』とこう哲学的に尋ねた。するとウード氏は『でも御前は錠前直しだろう』といった。漱石先生ここに至って憤然と立ち上って『否」と答へた。所でその「No」なるものが如何にも激烈な調子でいい表わされたものなので、漱石先生がその如何に錠前直しと呼ばれたのを憤っているかが明に知り得られたからウード氏は少時呆れて漱石先生の顔を見ていた。がやがて『君はそれでは何ういう人なのか」と尋ねた。『イヤ自分は文科大学の学生で、こうこういう用向きで来たのだ』と漱石先生が説明するというと、ウード氏大に慌てて『ヤアそれは飛んでもない間違いであった。実は錠前直しを待ち受けていた所へ入って来られたので、一図にそう思って誠に何うも失礼をした。疎忽の段は幾重にも勘弁せられ度い I beg your thousand pardons』というようなことをいって、改めて漱石先生を応接室へ通らせて書籍の相談をしたというのである。一体ならば前日教場で差向いで話をしたのであるからウード氏は漱石先生の顔を覚えているべき筈であるが、ウード氏は日本へ来たての西洋人に有勝な通り日本人の顔が皆同じに見えて区別が付かなかったので、そういう間違が起ったというのである。漱石先生のいわるるには、その後西洋へ行ってから考えて見ると、自分の当時の服装は西洋人の眼で見たら何うしても錠前直し相当のものであったというのだ。
 この話は僕等のようなウード氏によし半面識でもあるものには特に面白い。あの人柄な訥弁なウード氏が初め漱石先生を錠前直しと思って扱かった態度と、後の慌て方とが何となく眼前にチラ付くような気がするのだ。(馬場孤蝶 明治文壇の人々 漱石氏に関する感想及び印象)
 

 
 このことの前、明治23年のことです。漱石は、お兄さんからもらった外套を着て、本郷の「若竹」と言う寄席へ出かけました。すると、隣の男が色々と話しかけてきます。相手は漱石を学生だと思って話していると最初は思った漱石でしたが、話がずれていることに気がつきました。男は「お前は造兵に出るのか」と言うのです。つまり、漱石は、兵隊の格好だと勘違いされていたのでした。
 
 これは明治二十三年の秋かと覚えているが、本郷の若竹へ越路が掛かった。漱石先生はその時、令兄より拝領の外套ーー中古であるが仕立のなかなか良いを着せられて大分得意で聴いていると、傍に安座をかいていたへんな男が『今日は休みか』と尋ねた。漱石先生はな論先方が此方を学生と認めてそうきくことと思って『今日は休みだ』と答えた。それから先方がいろいろのことをきくので相当の返答をしていると、段々話が喰い違って来るようになって、これは少し異様だなと思っているうちに、到頭先方から判然と『お前は造兵へ出るのか」どきいたというのだ。この話は漱石先生が前の話ほど描写的には話されなかったのでこれ切りしきや書けないが、何にしろいろいろな者に間違えられたものではないか。(馬場孤蝶 明治文壇の人々 漱石氏に関する感想及び印象)
 
 次の話は、漱石が勘違いした話です。東京大学で英語を教えていた漱石は、いつも手を懐に入れている学生に気がつきます。厳格な漱石は、そのことが許せず注意したのですが、そのままにしています。不機嫌になった漱石に、その学生の友人が、真相を話しました。その学生は、手を出さなかったのではなくて、手が出せなかったのです。手がないので「無い袖は振れない」のです、と説明しました。
 漱石は、渋い顔をして「僕等はない学問を出して講義をしているのだ。……君も気が利かんではないか。ない手位出して呉れても宜いのに」と言いました。
 
 これはまた聞きの物語であるのだが、漱石先生が帝国大学で教えておられた時学生の中に一人、何時も隻手を懐にしたままで講義を聞いている者があるのに漱石先生は気が付いた。一面に於て潔癖な几帳面な漱石先生は、その学生の姿勢が甚く癪に触ったと見えて、ある日講義中に講壇を降りその学生の傍へ行って『手をお出しなさい』と少し鋭った声で云った。学生は顔を赤くしたのみで、何とも返答せず、また手も出さない、漱石先生は更に強く『手をお出しなさい」といった。が、学生は一層赤くなり魚の如く黙しているのみで、どうしても手を出さない。漱石先生は為方がないものだから講壇に戻って如何にも不機嫌そうな様子で講義を終った。
 と、その後になって何時も手を懐に入れていた学生の友人が漱石先生の家へ行った。そうして、その友人は、その手を出さなかった学生は手を怪我している男なので手を出さなかったのではなくして、手が出せなかったのだ。と、漱石先生に向って説明した末に、その友人は『下世話にも、ない袖は振られないというではありませんか』と警句一番した積りでいった。
 真面目な漱石先生はその学生に対して甚く気の毒がったが、重厚なる紳士漱石先生は唯まことに悪るかった気の毒なことをした、先方へ宜しく僕に代って挨拶して呉れ給へ、というような意味のことをいうだけでは普通の人がそういう場合には大抵いうようなことを言うだけではーー漱石先生自身気が済まなかった。漱石先生はこの際自分をも笑ってしまいたかったのであろうーー伝者はそういっているーー漱石先生は渋い顔をしてこういったーー
「僕等はない学問を出して講義をしているのだ。……君も気が利かんではないか。ない手位出して呉れても宜いのに」(馬場孤蝶 明治文壇の人々 漱石氏に関する感想及び印象)





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最終更新日  2018.11.14 00:10:07
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