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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2019.01.15
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カテゴリ:夏目漱石
 漱石は、小説『坊っちゃん』で、松山らしき都市を描写しています。松山という地名はでてきませんが、主人公は「四国辺のある中学校で数学の教師」となって赴任しています。その地の第一印象は、「野蛮な所」で「気のきかぬ田舎者」のいる土地で、「古い前世紀の建築」の県庁、「神楽坂を半分に狭くしたぐらいな道幅」の大通りと描写しています。「二十五万石の城下だって高の知れたもの」「こんな所に住んで御城下だなどといばっている人間はかわいそうなものだ」「一時間歩くと見物する町もないような狭い都に住んで、ほかになんにも芸がない(中略)憐れなやつらだ」「植木鉢の楓みたような小人ができるんだ。無邪気ならいっしょに笑ってもいいが(中略)子供のくせにおつに毒気を持っている」「おれと山嵐はこの不浄な土地を離れた」と罵詈雑言が続きます。
 褒めているのは、「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことにきめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけはりっぱなものだ」というものだけです。
あまり早くてわからんけれ、もちっと、ゆるゆるやって、おくれんかな、もし」「バッタた何ぞな」「そりゃ、イナゴぞな、もし」「なもしと菜飯とはちがうぞな、もし」「だれも入れやせんがな」「イナゴは温い所が好きじゃけれ、おおかた一人でおはいりたのじゃろ」「言えてて、入れんものを説明しようがないがな」と伊予弁が登場することから、地名がでてなくても松山だと想像できる仕掛けとなっています。
 
『漱石研究』第七号の鼎談では、井上ひさしが松山についての指摘をしています。「当時の松山藩は、日本の幕末維新三百藩の中で一番ダサイ、馬鹿な藩なんです。『第二次長州征伐』という事件がありましたね。(中略)他藩が天下の形勢を胸算用して最後まで一兵も出さなかったのに、松山藩だけは馬鹿正直に攻め込んで、猛反撃をくらって退却、負けてしまった。勿論、ここまではいいのです。それどころか、むしろ、幕府一筋ということでほめられてもいい。ところがしばらくして、十五代藩主の松平定昭が老中職についた。大政奉還をすぐ後に控えた、もっともむずかしい時期に幕政をみることになったんですね。ところが藩の重臣たちがやめろやめろと騒ぎ出した。殿様にも定見がない。そこで一カ月足らずで老中職を降りてしまった。それも大政奉還の直後、正確には四日後ですから、将軍や親藩からも信用をなくしてしまったわけです。つまり第二次長州征伐のときの頑張りはべつに将軍家へ忠誠をつくしたわけではなく、重臣たちに天下の状勢を見る目がなかっただけ、老中職へ就職するときに多額の運動費を使い、就任して『こりゃ大変』となると、時機を弁えずに逃げてしまう。てんでなってない藩だと、天下に恥をさらしてしまった。一カ月足らずでやめちゃったわけです。それで『鳥羽伏見』の時は、大阪の梅田あたり、一番後ろの方に回される。敵の官軍からはもとより、味方の幕府軍からも馬鹿にされていたわけです。だから、漱石が松山らしき城下町のことをケチョンケチョンに言いますが、あれが当時の人には、受けたんじゃないかと思うんです」また、「ひょっとしたら漱石は子規の妹の『律』と結婚したかったんじゃないかと思うんです」とも井上ひさしは語っていますが、これはちょっと想像力が働き過ぎたように思われます。
 文学者の松井利彦は『坊っちゃん』を「極端な四国軽視の立場を取ることで、子規に対して抱いていた主体性の無さ、精神的な負い目から脱却した」と評しています。漱石は子規の影響から抜け出すためにこの作品を書き上げ、子規の故郷・松山をめちゃくちゃに批判する必要があったのでしょう。
 
 
 しかし、『坊っちゃん』に書かれた悪口を気にかけず、それどころか商売のネタにしてしまう愛媛人は、県外からみると不思議に思われているようです。これを「鷹揚」とみるか「商売上手」とみるかは人それぞれですが……。
 松山には『坊っちゃん』が冠せられたものがたくさんあります。飲食店、喫茶店、居酒屋はいうにおよばず、公共施設や行事にも『坊っちゃん』の名がつけられています。松山市が主宰する「坊っちゃん文学賞」は平成元年(1989)の市制百周年を機に創設されました。特に、第4回大賞を受賞した敷村良子著「がんばっていきまっしょい」は田中麗奈主演で映画化され、「坊っちゃん文学賞」の名を全国に広めています。
 平成12年(2000)にオープンした松山市中央公園野球場は愛称を公募したところ、全国から1528の応募があり、そのうち107件が「坊っちゃんスタジアム」でした。「オレンジスタジアム」や「子規スタジアム」と、これもお馴染みのネーミングが並んだなか、「坊っちゃんスタジアム」と決定されたのは、全国に松山らしさをアピールするためというのが理由です。
 ただ、愛媛人や松山人は、県外で出身地の話になると『坊っちゃん』の話題を必ず振られるため、飽き飽きしています。『坊っちゃん』のついたネーミングをみると「またか」と思うのも事実ですが、心やさしい愛媛人や松山人は、道後温泉で坊っちゃんやマドンナのコスチュームを着た観光ガイドを眺めながら「観光につながるから、まあ、いいか」などと呟くのでありました。





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最終更新日  2019.01.15 17:01:11
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