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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2019.01.27
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カテゴリ:夏目漱石
   春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪  漱石
   春雨や爪革濡るる湯屋迄  漱石
   たたむ傘に雪の重みや湯屋の門  漱石
 
 漱石は銭湯が好きでした。夏目家に風呂ができたのは、早稲田の漱石山房に移ってからで、それまでは銭湯に通っていました。漱石の次男・伸六は『父・漱石とその周辺』で「私は、小さい時分、父が、よく、日向水の様に生ぬるい湯に、長いこと顎までつかっていたのを思い出すが、江戸っ子には不似合いなぬる湯好きの癖に、私には、どう見ても、その様子から、風呂好きの父を聯想せずにはおられないのである。もっとも、当時は、随分と一般家庭の生活もじみなもので、私の家でも、薪を少しでも節約する意味からか、風呂は一日おきにしか沸かさなかった。それで父も、風呂の立たぬ日には、よく石鹸をぶらさげて、家の前のだらだら坂を左へおりた近くの銭湯へ出かけて行った。一体、あの辺は、早稲田南町と弁天町が、妙に入り組んだところで、たしかこの風呂屋も弁天湯とかいうのではなかったかと覚えている。が、その頃は、都心を外れたこんな土地でも、まだまだ、火傷するように熱い湯に入らなければ、それこそ風呂に入る資格が無いと、無理に意気がる年寄連も多勢いたので、もともとぬる湯好きの父とすれば、むしろ、これは苦手だったと思うのだけれど、それでも隔日に銭湯通いをしていたところを見ると、たしかに湯好きだったのには違いない」と書いています。
 

 
『吾輩は猫である』の7章にも千駄木の風呂屋が出てきます。「うちの主人は時々手拭いと石鹸(シャボン)飄然といずれへか出ていくことがある。三四十分して帰ったところを見ると、彼の朦朧たる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦しい男にこのくらいな影響を与えるならば吾輩にはもう少し利目があるに相違ない」と思い立った猫は銭湯に出かけ、その様子を描写します。「横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立して先から薄い煙を吐いている。これすなわち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とかいうが、あれは表からでなくては訪問することが出来ぬものが嫉妬半分に囃し立てる繰言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲うことにきまっている。紳士養成方の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だから、このくらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴を食ったり、獣を食ったりいろいろの悪もの食いをしつくしたあげく、ついに石炭まで食うように堕落したのは不憫である。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗くとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側で何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発する辺に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子(ガラス)窓があって、そのそとに丸い小桶が三角形即すなわちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒とした。小桶の南側は四五尺の間、板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂の上等である。よろしいといいながらひらりと身を躍らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いといって、未だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分ないし四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂というものを見たことがないなら、早く見るがいい。親の死目に逢あわなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観はまたとあるまい」。
 
 その奇観とは、「硝子(ガラス)窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃である。二十世紀のアダムである」ことで、猫は衣服についてのうんちくを語り、風呂の様子を語ります。「しかるに今吾輩が眼下に見下した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織もないし袴もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視のうちに露出して平々然と談笑をほしいままにしている。吾輩が先刻さっき一大奇観といったのはこのことである。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹つつしんでその一般を紹介するの栄を有する」と、裸の猫が入浴するために裸になった人間を笑っています。
 
 猫が奇観たる銭湯を眺めて帰ると、苦沙弥先生は家に帰っていました。「帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐を食っている。吾輩が椽側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうといった。膳の上を見ると、銭のない癖に二三品御菜をならべている。そのうちに肴の焼いたのが一疋ある」。
 猫は魚を狙って虎視眈々としていたのですが、唐突に苦沙弥が細君に「おい、その猫の頭をちょっと撲ぶって見ろ」といいます。猫は「痛くも何ともない」ので黙っていると、苦沙弥は「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」といいます。
 猫は、しょうがなく「しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった」のでした。
 苦沙弥先生、湯に浸かって、頭がのぼせていたのでしょうか……。





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最終更新日  2019.01.27 19:49:31
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