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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.01.26
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カテゴリ:夏目漱石
『吾輩は猫である』で、苦沙弥先生の日記に「寒月と、根津、上野、池の端、神田辺を散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた」と書かれた猫は「何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床へ行って顔さえ剃って貰やあ、そんなに人間と異ったところはありゃしない。人間はこう自惚ているから困る」とつぶやきます。
 
 ここに出てくる「喜多床」は、本郷の加賀前田家の大名屋敷近くにあった「喜多床」で、開業は明治4(1971)年といい、現在は渋谷に移転していますが営業しており、日本で一番古い理髪店といわれています。第12代藩主の前田斉泰は、断髪令が出たおり、この「喜多床」で髷を落としました。斉泰の日記には「本日、髪を洋夷にす。涙燦然として降る」と綴られています。
 本郷にあった頃の「喜多床」は当時では珍しい三階建ての洋館で、ガラス製の大鏡がかけられた店内のインテリアが評判となり、従業員は揃いの洋装を身につけていました。
『三四郎』にも「下駄の歯が鐙(あぶみ)にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。(三四郎3)」と、「喜多床」の名前が出てきます。
「喜多床」二代目の舩越景輝が、古い理髪雑誌に語った思い出によると『先生、良いお天気です』というと、先生は一言『大きなお世話だ』。頭を刈られながら気持ちよさそうに寝ていたため、終わって起こすのが悪い気がしてそのままにしておいたら『終わったのか。遅いぞ』と叱られたといいます。
 
 漱石は、髪を気にしていました。小宮豊隆の『知られざる漱石』「漱石先生の顏」では「先生の髮は黒くてふさふさしていた。且つ大きく縮れていたので、櫛を使って分けても芭蕉葉を貼りつけたようにはならず、ふわりとして波を打っていた。先生は左の方で分けて、右の端を一寸跳ね返していたが、その跳ね返しが、先生の髮の縮れの波とうまくリズムが合っているので、自然に且つハイカラに見えた」とあります。
 

 
 猫が見た苦沙弥先生は、鏡で髪をつぶさに眺めています。本当かどうか、頭にもアバタがあるために、苦沙弥先生は髪を伸ばしているというのです。
 
 この鏡ととくにいうのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いる。――主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼は他ほかのことに無精なるだけそれだけ頭を叮嚀にする。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだことはない。必ず二寸くらいの長さにして、それを御大そうに左の方で分けるのみか、右の端をちょっと跳ね返して澄ましている。これも精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方はこの机と一向調和しないと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどのことでないから、誰も何ともいわない。本人も得意である。分け方のハイカラなのはさておいて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実はこういう訳である。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とくの昔に脳天まで食い込んでいるのだそうだ。だからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくる。いくら撫でても、さすってもぽつぽつがとれない。枯野に蛍を放ったようなもので風流かも知れないが、細君の御意に入らんのは勿論もちろんのことである。髪さえ長くしておけば露見しないですむところを、好んで自己の非を曝くにも当らぬ訳だ。なろうことなら顔まで毛を生やして、こっちのあばたも内済にしたいくらいなところだから、ただで生える毛を銭を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨の上まで天然痘にやられましたよと吹聴する必要はあるまい。――これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以で、しこうしてその鏡が一つしかないという事実である。(吾輩は猫である 9)
 
 漱石の小説には床屋がよく登場します。『草枕』にも床屋が登場するのですが、こちらは熊本ですから除外します。『門』にも床屋が登場します。主人公の宗助は噛んだあたりに住んでいるので、「喜多床」をモデルにしたかどうかはわかりません。
 
 新年の頭を拵えようという気になって、宗助は久し振に髪結床の敷居を跨いだ。暮のせいか客がだいぶ立て込んでいるので、鋏の音が二三カ所で、同時にちょきちょき鳴った。この寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入ろうと焦慮るような表通の活動を、宗助は今見て来たばかりなので、その鋏の音が、いかにも忙しない響となって彼の鼓膜を打った。(門 13)
 
 年の暮に、ことを好むとしか思われない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがって齷齪する様子を見ると、宗助はなおのことこの茫漠たる恐怖の念に襲われた。成ろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走の中に一人残っていたい思さえ起った。ようやく自分の番が来て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、ふとこの影は本来何者だろうと眺めた。首から下は真白な布に包まれて、自分の着ている着物の色も縞も全く見えなかった。その時彼はまた床屋の亭主が飼っている小鳥の籠が、鏡の奥に映っていることに気がついた。鳥が止り木の上をちらりちらりと動いた。
 頭へ香いのする油を塗られて、景気のいい声を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であった。御米の勧め通り髪を刈った方が、結局つまり気を新たにする効果があったのを、冷たい空気の中で、宗助は自覚した。(門 13)
 
 宗助は着流しのまま麦藁帽を手に持った友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顔の上に、新らしい何物かがさらに付け加えられたような気がした。安井は黒い髪に油を塗って、目立つほど奇麗に頭を分けていた。そうして今床屋へ行って来たところだと言訳らしいことをいった。(門 14)





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最終更新日  2020.01.26 19:00:06
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