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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.01.29
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カテゴリ:夏目漱石
 漱石の小説に登場するステッキで印象的なのは『彼岸過迄』に出て来る「蛇が彫られたステッキ」です。このステッキは、主人公の田川敬太郎の下宿に住んでいた森本の持ち物です。下宿代を踏み倒して満州に逃げた森本の遺留品で、森本から敬太郎への手紙には「それから上り口の土間の傘入に、僕の洋杖(ステッキ)が差さっているはずです。あれも価格からいえばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら(彼岸過迄 風呂の後12)」という手紙とともに、贈られたものです。
 

 
 そのステッキは、「この洋杖は竹の根の方を曲げて柄にした極めて単簡のものだが、ただ蛇を彫ってあるところが普通の杖と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑みかけているところを握りにしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑っこく削られているので、蛙だか鶏卵だか誰にも見当がつかなかった。森本は自分で竹を伐って、自分でこの蛇を彫ったのだといっていた。(彼岸過迄 停留所5)」といったものでした。
 
 敬太郎は、友達・須永の叔父から探偵のようなことを頼まれ、そのことを迷っていたのですが、ふと立ち寄った占い師から「あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨く行きます」といわれます。敬太郎は、それを森本が遺したステッキと考えました。
 
 敬太郎はそのひまに例の洋杖(ステッキ)を傘入から抽き取ったなり、抱き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲った角を、右の腋の下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下から杖を出して蛇の首をじっと眺めた。そうして袂の手帛(ハンケチ)で上から下まで綺麗に埃を拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋を載せた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力を顧て、ほっと一息吐いた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、偸むように持ち出した洋杖が、どうすれば眉と眉の間の黒子を見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんにいわれた通り、自分のような他人のような、長いような短かいような、出るような這入るようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないで携えているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうと袖に隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとの間、瘧を振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業を煮やしたさっきの努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所作を紛らすために、わざと洋杖を取り直して、電車の床をとんとんと軽く叩いた。(彼岸過迄 停留所24)
 
 では、漱石は日常にステッキを使っていたのでしょうか。『吾輩は猫である』には次のようにステッキが登場します。
 
 主人は椽側へ出て負けないような声で「やかましい、何だわざわざそんな塀の下へ来て」と怒鳴る。「ワハハハハハサヴェジ・チーだ、サヴェジ・チーだ」と口々に罵る。主人は大に逆鱗の体で突然起たってステッキを持って、往来へ飛び出す。迷亭は手を拍って「面白い、やれやれ」という。寒月は羽織の紐を撚ってにやにやする。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持無沙汰にステッキを突いて立っている。人通りは一人もない、ちょっと狐に抓れた体である。(吾輩は猫である 3)
 
「ところが鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでしょう。学校へ出ても福地さんや、津木さんには口も利きかないんだそうです。恐れ入って黙っているのかと思ったらこの間は罪もない、宅の書生をステッキを持って追っ懸けたってんです――三十面づらさげて、よく、まあ、そんな馬鹿な真似が出来たもんじゃありませんか、全くやけで少し気が変になってるんですよ」
「へえどうしてまたそんな乱暴なことをやったんで……」とこれには、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。
「なあに、ただあの男の前を何とかいって通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持って跣足(はだし)で飛び出して来たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何かいったって小供じゃありませんか、髯面の大僧の癖にしかも教師じゃありませんか」
「さよう教師ですからな」と御客さんがいうと、金田君も「教師だからな」という。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論点と見える。(吾輩は猫である 4)
 
 漱石にとってステッキは、他人に対して威圧のシンボルのようです。ただ、次男の新録にとっては、ステッキに対して苦い思い出があります。『父・夏目漱石』には、怒った漱石がステッキで伸六を叩くもいでが記されています。
 
 恐らくまだ私が小学校へあがらない、小さい時分のことだったろう。丁度薄ら寒い曇った冬の夕方だった。私は兄と父と三人で散歩に出たことを覚えている。父の方から私等を散歩に誘うことなどはなかったから、おおかたこの時も私等が「つれてって、つれてって」と無理に父の後へひっついて行ったものだろう。道はどういう道を通って行ったか、うろ覚えにさびれた淋しい裏町を通りながら、私等はいつの間にか、いろいろと見世物小屋の立ち並んだ神社の境内へ入っていた。親の因果が子に報いた薄気味悪いろくろっ首や、看板を見ただけでも怖気をふるう安達ヶ原の鬼婆など、沢山並んだ小屋がけのうちに、当時としてはかなり珍しい軍艦の射的場があり、私の兄がその前に立ち止ってしきりと撃ちたい、撃ちたいとせがんでいた。恐らく私も同様、兄と一緒にそれを一生懸命父にねだっていたことだろう。父は私等に引っ張られて、むっつりと小屋の中ヘ入って来た。暗い小屋の内部の突当りに、電気で照らされた明るい舞台があり、ここかしこと遠く近く砲火を交える小さい軍艦を二三艘描いた青い油絵の大海原を背景に、電気仕掛の軍艦が次から次へ静々と通過していた。ガランとした小屋の中には、客が二三人いるばかりで、そのうち当の射撃者はただ一人しかいなかった。撃った弾丸が命中すると、軍艦がぱっと赤い火焔を噴いて燃えあがりながら、それでも依然として何の衝撃も受けぬらしく、その軍艦は今まで通り静々と舞台の上を過ぎて行く。私はもちろんそれが本当に燃えるものとは思わなかったが、それでもどうしてあんなに本当らしく燃えるのだろうと、子供心に驚異の眼を見張りながら、一心不乱にこの光景を眺めていた。
 すると、
「おい?」突然父の鋭い声が頭の上に響いた。
「純一、撃つなら早く撃たないか」
 私は思わず兄の顔へ眼を移した。兄はその声に怖気づいたのか急に後込みしながら、
「羞かしいからいやだあ」
 と、父の背後にへばりつくように隠れてしまった。私は兄から父の顔へ眼を転じた。
 父の顔は幾分上気をおびて、妙にてらてらと赤かった。
「それじゃ伸六お前うて」
そういわれた時、私も咄嗟に気おくれがして、
「羞かしい……僕も……」
 私は思わず兄と同様、父の二重外套の袖の下に隠れようとした。
「馬鹿っ」
 その瞬間、私は突然怖ろしい父の怒号を耳にした。が、はっとした時には、私はすでに父の一撃を割れるように頭にくらって、湿った地面の上に打倒れていた。その私を、父は下駄ばきのままで踏む、蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振り回して、私の全身へ打ちおろす。兄は驚愕のあまり、どうしたらよいのか解らないといったように、ただわくわくしながら、夢中になってこの有様を眺めていた。その場に居合せた他の人達も、皆呆っ気にとられて茫然とこの光景を見つめていた。私はありったけの声を振り絞って泣き喚きながら、どういう訳か、こうしたすべてを夢現のように意識していた。また自分自身地面の上を、大声あげてのたうちながら、衆人環視の中に曝されたこうした自分の惨めな姿を、私は子供ながらに羞かしく思わずにいられなかった。しかし父の怒りがやっとおさまりかけた頃には、私はもう羞かしいも何も忘れていた。ただじっと両手で顔を蔽うたまま、思い出したように声を慄わして泣きじゃくるばかりだった。そしてその合間合間に、はなや、涙を一緒くたにスルズル咽喉の奥へ吸いこみながら、私は先へ行ってしまった父の後からやっとの思いでトボトボついて行った。(夏目伸六 父・夏目漱石)
 
 伸六は成人してから次のように思います。「当時の私には、なぜこの時こんなひどいめにあったのか、その理由はまるで解らなかった。またそれを考える意識さえも持たなかった。しかし私と兄と二人の中で、なぜ自分だけが殊更あんなに打ったり蹴ったりされねばならなかったのか。その点について私は子供心にも淡い不満を感じていた。そしていつの間にか、私は父のこの行為を、一切理窟ぬきの持病の結果に帰してしまった」というのですが、ある日その真実にたどり着きます。「兄に倣って、父の袖の下にかくれようとした私は、不幸にして「恐るべく驚くべき模倣者」であり、自分から撃ちたい撃ちたいとせがみながら、いざ撃てといわれれば嫌だという、許すべからざる偽善者であり、さらに意識的に父を欺いた憎むべき小倅だったのである」とあり、兄の真似をする主体性のない伸六の態度に怒ったのだろうと解釈しています。





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最終更新日  2020.01.29 19:00:06
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