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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.03.27
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カテゴリ:正岡子規
 慶応三年(一八六七)九月一七日、伊予国温泉郡藤原新町にあった正岡家に、まんまるとした顔の赤ん坊が誕生しました。正岡家の表にはオロ竹を結った垣があり、その中には珊瑚樹が並んでいました。
 子規の生家がどこにあったかというと、現在の松山市花園町のアーケードの下にあり、気をつけないと見逃してしまうような場所に碑が立っています。
 お父さんは正岡常尚といい松山藩の侍でした。お父さんは隼太ともよばれ、「御馬廻加番」から出世して「御馬廻格番頭支配」「御馬廻番入」となり、維新後は「一番平士上隊軸伍」をつとめました。
 お母さんは八重といい、松山藩校「明教館」の先生・大原観山の長女です。観山は、松山一えらい儒学者だといわれていました。
 八重は、のちに赤ん坊のことを「そりゃ丸い顔てて、丸い顔てて、よっぽど見苦しい顔でございました」と語っています。
 丸顔の男の子は、正岡家の跡継ぎとして、すくすくと育っていきました。この赤ん坊は「のぼさん」とよばれ、のちに正岡子規という俳人・文学者となります。
 


 





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最終更新日  2020.03.27 19:00:05
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