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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.06.05
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カテゴリ:正岡子規
   もみじ葉の色もかわるや秋の空(明治23)
   もみじうく水や刀に血のあと(明治23)
   菅笠をぬげばもみじの二つ三つ(明治23)
 
 明治22年の末、常磐会寄宿舎に住んだ子規にも同好の人たちが増えてきました。「言志会」の他に、子規と同室になって文学の虜となったと新海正行(非風)、河東静渓の漢詩塾の仲間だった五百木飄亭らが、子規を中心として「もみじ会」を作り、「つづれの錦」という観覧雑誌を出しました。きっかけは明治22年の末に、子規と瓢亭と非風が3人で寄宿舎の近くにある寿司屋(おそらく藤野)へ行き、気炎を上げたことによります。
 紅葉会の同人は、子規を囲んで五百木良三(飄亭=若隠居・隠居・飄々堂主人)、新海正行(非凡・非風)、河東鍛(黄塔=小鍛・其十)、河東銓(可全=怒可理・奴雁・河銓)、佐伯伝蔵(蛙泡)、伊藤泰(鉄山・可南)、成田秀澄(四舟)らの8人でした。その当時のことを五百木瓢亭は『夜長の欠び』という文で当時を振り返っています。
 
 同じ年(二十二年)の冬空になってからだと思います、子規は不忍の下宿を払って僕のいる寄宿舎に合宿するようになりました。同気相求むるの類でそれからというものは非風と三人の間はますます親密を加えてとんだ仙人の団結が出来たです。当時佃君……今神戸の税関長になっている佃一予君が丁度舎監をしていたです。この先生らが先ず大将でこの仙人どもを憤慨して書生の身で小説や発句に心を奪われるとは怪しからざる次第だなどと大変に攻撃しました。それでも子規は文学者になる目的だというのでこれには直接に攻撃しない。僕も当時既に医者の免状を所持していたものですから。他の書生の全く修業中にあるものとは少しく境遇が違っとるので余り攻撃を受けなかったが。非風は軍人志願というのであったためにヒドク攻撃を受けたです。時にはこれについて激論したことも有ったくらいです。こういう風でしたから、この時代の三人は寄宿舎の仲間からは一種の道楽者として暗に指示されていたのですが。サテ当人の鼻息はこうなって来るといよいよ激昂してすこぶる盛んだ。ナンダ俗骨めらがと鼻の尖であしらって。あんな無趣味な枯燥極まる人間は。まア何の味が有つて世の中に生れて来たのだろうなどと心中に嘲っていたです。俗骨の語はますます流行しました。
 しかしこの間にも文学思想というと大層ですが。多少風流がってみたい男も無いではないので。これらの同好はたちまち相結ばれて。その年の暮でした。紅葉会という一会が起されたです。これの発頭人はやはり子規非風僕の三人で、丁度ある日雪見というので。朝から寒いのに三人連れで向島あたりを駈けずり廻ったことがありましたが。その帰り路に。寄宿舎の近傍の鮨屋に立寄って相談したのです。何でもこんな会を起して詩歌俳は勿論都々逸でも何でも構わんからウナロじゃないかというので。早速帰舎してこのことを同志にはかると意外に賛成者が多かって終に成立したのです。此会の雑誌……雑誌というても十枚足らずのいたずら書きの帖面ですが。これをつづれの錦と称してなんでも八九琥号重ねたと思います。今から考えると佃君なんどが憤慨したのも。この道楽者が他人を感化誘導しそうな勢が有ったからのことでしよう。しかしこの頃の文学思想はまだ発句に重きをおいていたのではなかったので、むしろ小説熱などが烈しかったのです。(五百木瓢亭 夜長の欠び)
 
 その一号には「紅葉会の発会を祝す」という文があり、子規の文のようです。「つづれの錦」というと、綺麗なイメージですが、この「つづれ」は襤褸のことで、「破れた部分をつぎ合わせた衣服。つぎはぎの衣服。転じて、ぼろの着物。つづれごろも」のことです。「紅葉会の発会を祝す」にあるように、なんでもありの文章を寄せ集め、まるでつぎはぎだらけの衣服のようだという意味なのでしょう。しかし、号を重ねるにつれ、だんだんと興味は薄れて生き、終わりころには子規が絵も描いて八面六臂の活躍で、紙を埋めたのでした。
 
 ことし二月十二日常盤会のやさ男八人、いづれも皆心に錦を飾る腕ぞろい、詩歌俳句は申すに及ばず端歌都々逸小説のたぐい、何くれとなくおり(ひろい)あつめて襤褸の錦と題することとはなりぬ、錦にちなみて紅葉会という名をつけんに、詩歌のよるというしゃれにも通いていとめでたかるべしと、おのれのいいしに、皆々余りこのま数名にもあらねど、外にこれぞと思うものもなければと我説に従いたり、さらばこれより席上の題を出し
て思うままに筆をふるわんとまといしける、非凡なる句を吐くもあり才気を振うもあり、すまして詩をかいたるもあり。隠居然と首をひねるもあり、字をあやまりてぬかりたるもあり、長きを厭うて発句したるもあり。煎餅をあぶりてこがし過ぎたるもあり、粋人にまじりたる野暮流もあり、げにうつくしきながめ哉。げに面白きよりあいかな。
   とこしえに散らぬつゞれの錦とはもみぢに似たる鳥の跡かな(紅葉会の発会を祝す)
 
「つづれの錦」掲載の「ふんどし」という文には、ふんどしをはずした姿絵が添えられています。この号では他に「むさし野や月をふまえてきりぎりす」の句にススキの野から見た満月、「竜宮も女さわぎで波がたち」の句に波頭、「朝顔や我筆さきに花もさけ」で朝顔、「もみじ葉の色もかわるや秋の空」「もみじうく水や刀に血(のり)のあと」「菅笠をぬげばもみじの二つ三つ」で紅葉、「くずれてはむかしにかえるかかしかな」でカラス、「旅人をさびしからする鳴子哉」で田と鳴子、「山奥をいずれば虎も猫となり」で竹林と虎の絵を描いています。『子規全集』の「第9巻 初期文集」に掲載されていますので、ぜひご覧ください。
 

 
 男にててらといい、女に二布(ふたの)という。東京のふんどしも京都でへこしと変るこそ下々のものに至るまでのがれ難き因縁ならめ、猿または職人のいでたちに残りて、紳士の尻にはめりやすのあとをとどむ。花よめのあしには緋縮緬をたれて風のすそをかえすを妨げず、鬼のけつには虎の皮をしめて力を入れるに工合よし。下役がはたらいて長官の名誉となるは、人のふんどしで相撲とるに似たり。壮士を頼んで議員に選ばれ、今は却てその壮士に使役せらる流は越中ふんどしの向うよりはずれるにやたとえん。天下を一家とすれば、一家は蟲のすみかにひとしく、因果も目の前と知れば極楽は夕顔棚の下にあり。敵手(あいて)にしめられ、あいかたにゆるめられて睾丸昼夜を知り、夜這の宿にかたみを残して喜多八昨夜のばけを現わす。三寸の観昔は御厨子の中におさまりて参詣の貴賤引きもきらず、蓬莱山は垣一重のかなたに聳えて信心の老若、上下のへだてなし。あらたうと、禍は下より起るとかや。天下の治、乱世の興廃も大かたはこのまくのあけたてによるこそ不思議なれ。
 
   月下聞蟲
   ひとり迷うたむさしのに 招くと見しはむら尾花
   きぬたはいずこ家いずこ ふんで行かれぬむしのこえ
   たたずむわれに露やおく 袂の上にきりぎりす
   見まわす原に秋の月   ひとりしょんぼりてらされて
 
   朝顔
   つきぬはなしのきぬぎぬに、ひとりたたずむ門柱、君の姿は朝霧に、かくれて見えてほのぼのと、垣根にさくは夕顔か、名もよく似たる朝㒵(あさがお)の、花の一枝だきしめつ、寝みだれ髪を書き上げて、あらねたましや花の色
 
   ひる顔やぬれふんどしのほし処(ふんどし つづれの錦7号)





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最終更新日  2020.06.05 19:00:06
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