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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2020.12.17
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 漱石の妻・鏡子は、悪妻として知られています。「ソクラテスの妻」に対して日本では「漱石の妻」が引き合いに出されます。
 しかし、本当に鏡子は悪妻だったのでしょうか。
 
 鏡子が悪妻であるというイメージは、漱石門人の小宮豊隆が著書『夏目漱石』の中で漱石を神経衰弱に追いやったのは鏡子のせいだとばかりに書いています。
 
『漱石の思い出』では、漱石を精神病者として扱っている。鏡子が漱石を梢神病者であると信じていたことには、疑いがない。しかし尼子四郎や呉秀三の診断にもかかわらず、こういうのを精神病者として見做していいかどうかについて、私は深刻な疑いを持っている。元来一人の人間が精神病であるかないかを決定することは、困難であるには違いない。それだから今日の精神病医は、数回にわたり、もしくは数時間にわたって、患者と対話し、あらゆる方面から、手間をかけて、その患者の精神機能を観測し、診断の材料を蒐集しようと努めている。しかるに尼子四郎や呉秀三は、恐らく漱石の身体を一回、たかだか二回くらい、それも外のことに託して、そこそこにしか見ていない。診断の材料の重なるものは、鏡子の口供だけだったのに違いないのである。しかも鏡子には、漱石がなぜそう自分を憎むのか、なぜそう癇癪を起すのか、その理由が分からなかった。理由なしに女房を憎み、理由なしに子供をいじめ、理由なしに下女を追い出し、理由なしにそこいらの人間に怒鳴り散らすとすれば、これは、尼子四郎や呉秀三を俟つまでもなく、まさに気違いの沙汰である。尼子四郎も呉秀三も、『漱石の思い出』に書かれているような事実を、一々鏡子の口から聴かされて、結局漱石を神経衰弱以上のもの、即ち精神病者と診断したものと思われる。しかし鏡子が理由がないと思っているということそのことに、第一の問題があるのである。(小宮豊隆 夏目漱石 再び神経衰弱)
 私から言わせれば、漱石の当時の癇癪の根本は、鏡子の無理解と無反省と無神経から来ているのである。もっともこれはあながち鏡子のみではなく、誰が漱石の妻になっていても、漱石はその無理解と無反省と無神経に悩まなければならなかったのかも知れない。漱石は自分に最も近いものを最も憎んだと言われるが、正しい漱石は、自分が最も愛する者、自分が最もよく知っている者、自分に最も近い者の中に、最も醜いものを発見する場合、愛し、知り、近いという理由だけで、見て見ぬふりをするというような、そんなだらしのない真似はできなかったのである。その上人は、自分に近い者でなければ、真正の意味で、愛しも憎みもするわけに行かない。最も近いが故に最も憎まれるということは、その人に救いようのない「悪」が巣喰っているためである。(小宮豊隆 夏目漱石 再び神経衰弱)
 
 と書いています。なんとも凄まじい鏡子に対する憎悪ですが、どことなく神格化している存在の配偶者に対するやっかみだとも感じられるところが無きにしも非ずの文章です。
 
 豊隆の『漱石襍記』の中に「夏目先生のこと」という文章があるのですが、ここに豊隆の気持ちが隠されているような気がします。「私が先生のところへ初めて行って話をしているうちにあぐらをかいたという話は、いつだったか『漱石の思い出』の中ですっぱぬかれて以来、だいぶ有名になってしまった。しかしあの『思い出』は一体、触れてしかも悉し得ない憾みがある。私はここにあの時のことを、もう少し精しくかいておきたいと思う」とあり、それについての自己弁護がダラダラと続きます。
 
 要するに、ここに書かれているのは、神格化している漱石のことを色々と喋った『漱石の思い出』への怒りであり、自分のことも含めて、こういうことがあったのにわからないのかという鏡子への非難なのです。また、自分は漱石のことをよくわかっている。鏡子は漱石のことなんか少しも理解せず、そのために漱石は悩んでいたんだ、自分の方が漱石に理解されていたし、あの人のことを門人の誰よりも理解しているんだぞという、ホモセクシャル的な愛情の告白でもあるのです。
  
 こうした愛情の裏返しが、漱石の理想主義とは異なる、現実的な鏡子への嫌悪となり、「鏡子=悪妻」論に繋がったのではないかと思います。もちろん、漱石の生前でも「鏡子=悪妻」という考えは広まっていたようですが、現実に立ち向かえない作家の卵たちは、鏡子に金の工面を頼んでいます。親分肌の鏡子は、それに対して不平をこぼさず、門人たちに対応してあげています。
 それにひきかえ、豊隆は一人で世間に対峙できない文学仲間のうちで、自分とは毛色の違う人物の陰口を広めます。この対比を見ると、鏡子を応援したくなってきます。






最終更新日  2020.12.17 19:00:05
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