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土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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カテゴリ:夏目漱石
山四方中を十里の稲莚 漱石 (明治28)
   一里行けば一里吹くなり稲の風 漱石 (明治28)
 
 明治28年5月26日、漱石は日清戦争の帰路吐血して神戸の病院に入院している子規に宛てて「小子近頃俳門に入らんと存じ候。御閑暇の節は御高示を仰ぎたく候」と書いた手紙を送っています。
 その前からいくつかの俳句は捻っていますが、この時から漱石の俳句熱はあがり始めます。
 上の句は、9月23日に子規とともに松山を吟行した際の句です。
 
 ただ、漱石と稲といえば、子規が『墨汁一滴』で暴露した稲についての秘密です。下に『墨汁一滴』と、芥川龍之介が漱石に稲のことを聞いた時の文を書いておきます。
 
 東京に生れた女で四十にもなって浅草の観音様を知らんというのがある。嵐雪の句に
   五十にて四谷を見たり花の春
というのがあるから嵐雪も五十で初めて四谷を見たのかも知れない。これも四十位になる東京の女に余が筍の話をしたらその女は驚いて、筍が竹になるのですかと不思議そうにいうていた。この女は筍も竹も知っていたのだけれど二つの者が同じものであるということを知らなかったのである。しかしこの女らは無智文盲だから特にこうであると思う人も多いであらうが、決してそういうわけではない。
 余が漱石とともに高等中学にいた頃、漱石のうちをおとずれた。漱石の内は牛込の喜久井町で、田圃からは一丁か二丁しかへだたっていない処である。漱石は子供の時からそこに成長したのだ。余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃のことであったろう、そこらの水田に植えられたばかりの苗がそよいでいるのは誠に善い心持であった。この時余が驚いたことは、漱石は、我々が平生喰うところの米はこの苗の実であることを知らなかったということである。都人士の菽麦を弁ぜざることは往々この類である。もし都の人が一匹の人間になろうというのはどうしても一度は鄙住居をせねばならぬ。(墨汁一滴 明治34年5月30日)
 
 正岡子規が「墨汁一滴」だか何かに、先生と一緒に早稻田あたりの田圃を散歩していた時、漱石が稻を知らないで驚いたということを書いている。そうして先生とその話が出たことがあった。そうしたら先生が言うのには、いや俺は、米は田圃に植えるものからできることは知っている、田圃に植っているものが稻であるということも知っている、唯、稻──目前にある稻と米との結合が分らなかっただけだ。正岡はそこまで論理的に考えなかったんだと、威張っておられた。(芥川龍之介 夏目先生)





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最終更新日  2021.02.06 19:00:05
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