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カテゴリ:夏目漱石
我背戸の蜜柑も今や神奈月 漱石(明治28) 累々と徳孤ならずの蜜柑哉 漱石(明治29) 同化して黄色にならう蜜柑畠 漱石(明治29) 降りやんで蜜柑まだらに雪の舟 漱石(明治31) 温泉の山や蜜柑の山の南側 漱石(明治31) 裏山に蜜柑みのるや長者振 漱石(大正5) イギリス時代の漱石は、明治34年3月4日の日記に「帰りて午飯を喫す。スープ一皿、cold meat一皿、プッジング一皿、蜜柑一つ、林檎一つ」と書かれています。イギリスですから、オレンジでしょうが、漱石は蜜柑と書いています。ただし、イギリスにも「温州みかん」か伝わっていました。文久3(1863)年に、イギリスと薩摩藩が結んだ薩英同盟のとき、薩摩藩から英国に友好の印として温州みかんの苗が贈られました。そのため、「温州みかん」は「サツマ」と呼ばれていたのです。 また、漱石の家では、果物をよく食べていたようです。長女の筆子は『夏目漱石の「猫」の娘』で「私たちのおやつは、だいたい、お茶の間に命名の木の皿が揃えてありまして、その中におセンベ5枚とか、ミカン2つとか、焼芋3つなどという程度のものしか入ってなかった」と書いています。 明治45(1912)年2月7日、広島の金子健二宛に「御送の蜜柑たくさん到着。難有御礼申上候」というお礼のハガキを送っています。金子 健二は、新潟出身の英文学者で、明治35(1905)年に東京帝国大学英文科に入学しています。明治36年に漱石はイギリスから帰国して、4月から東京帝国大学の英語教師になっ李ます。金子は、漱石の授業を3年間聞いています。 漱石の小説には蜜柑がよく登場しています。『坊っちゃん』や『三四郎』『草枕』などで、色づく蜜柑を配している風景として登場します。 庭は十坪ほどの平庭で、これという植木もない。ただ一本の蜜柑があって、塀のそとから、目標になるほど高い。おれはうちへ帰ると、いつでもこの蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑の生なっているところはすこぶる珍らしいものだ。あの青い実がだんだん熟してきて、黄色になるんだろうが、定めて奇麗だろう。今でももう半分色の変ったのがある。婆さんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、旨い蜜柑だそうだ。今に熟れたら、たんと召し上がれと云ったから、毎日少しずつ食ってやろう。もう三週間もしたら、充分じゅうぶん食えるだろう。まさか三週間以内にここを去る事もなかろう。 おれが蜜柑の事を考えているところへ、偶然山嵐が話しにやって来た。(坊っちゃん 10) 与次郎がまた少しほらを吹いた。悪く言えば、よし子を釣り出したようなものである。三四郎は人がいいから、気の毒でならない。「どうもありがとう」と言って寝ている。よし子は風呂敷包みの中から、蜜柑の籠を出した。 「美禰子さんの御注意があったから買ってきました」と正直な事を言う。どっちのお見舞みやげだかわからない。三四郎はよし子に対して礼を述べておいた。 「美禰子さんもあがるはずですが、このごろ少し忙しいものですから――どうぞよろしくって……」 「何か特別に忙しいことができたのですか」 「ええ。できたの」と言った。大きな黒い目が、枕についた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は下から、よし子の青白い額を見上げた。はじめてこの女に病院で会った昔を思い出した。今でもものうげに見える。同時に快活である。頼りになるべきすべての慰謝を三四郎の枕の上にもたらしてきた。 「蜜柑をむいてあげましょうか」 女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人は、香かにほとばしる甘い露を、したたかに飲んだ。 「おいしいでしょう。美禰子さんのお見舞よ」 「もうたくさん」 女は袂から白いハンケチを出して手をふいた。(三四郎 12) 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道つづきの、爪上りになる。鶯が所々ところどころで鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹きの上で妙な節の唄をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃の音がする。何だと聞いたら、猟師が鴨をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。(草枕 12) 「そうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家なんですか」 「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」 「用でもあるんですか」 「ええちっと頼まれものがあります」 「いっしょに行きましょう」 岨道の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠が三四本あって、土塀の下はすぐ蜜柑畠である。 女はすぐ、椽鼻へ腰をかけて、云う。 「いい景色だ。御覧なさい」 「なるほど、いいですな」 障子のうちは、静かに人の気合もせぬ。女は音のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下みおろして平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。 しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午に逼せまる太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸し返されて耀いている。やがて、裏の納屋の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。(草枕 12)
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最終更新日
2021.03.05 19:00:07
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