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カテゴリ:夏目漱石
瀬の音や渋鮎淵を出で兼る 漱石(明治28) 鮎渋ぬ降り込められし山里に 漱石(明治29) 塩焼や鮎に渋びたる好みあり 漱石(明治31) 鮎の丈日に延びつらん病んでより 漱石(明治43) 「鮎」は夏の、「渋鮎(さびあゆ)」は秋の季語になります。「渋鮎」とは、産卵を済ませ、川を下っていく鮎のことで「落ち鮎」「下り鮎」ともいいます。 漱石は、川魚のような淡白な味はあまり好きではありませんでした。それは、川魚料理で有名な平八茶屋での食事に満足していないことてもわかります。漱石は、はっきりした味しか理解できなかったのです。 しかし、晩年の漱石は鮎の味かわかるようになってきたようです。大正元年に広島の井原市次郎から送られてきた干鮎に対する9月22日のお礼の手紙には「小生は生鮎よりも干した方が好物に候」とあり、大正3年の名古屋からの鮎には、送り主の田島道治への7月17日のお礼には「御恵投の鮎、今朝着。すぐ腸をさき午餐の膳に上せました。大変美事なもので、玉川辺ではとても見られない大きなものです。あつく御礼を申します、配達夫が水が出る出るといってぶつぶついっていたそうですが、箱のなかの氷が解けたのでした」とあり、翌年の田島道治のお礼には「長良川の鮎をありがとう。大変大きくて旨う御座います、玉川などのは駄目ですね。あれを食べてからあゆが急に好きになりました」と書いています。 車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。三四郎は 鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。(三四郎 1) 野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚たなに櫛くしだの花簪はなかんざしだのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉せみの羽根のようなリボンをぶら下げて、「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。(三四郎 2) 友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。(それから 11)
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最終更新日
2021.03.07 19:00:06
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